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はじめての社会運動

私が自ら組織を立ち上げて社会活動を始めたのは、2000年の石原慎太郎東京都知事(当時)による「三国人発言」からでした。

この発言で、石原都知事は使い古された差別語を使って人々を煽りました。当時はまだ「扇動」という言葉も知りませんでしたが、ひどいいじめをする人だと感じ、こんな発言がなんのお咎めもなく許されたたら、あとあと大変なことになると思ったからです。

私は、1990年頃から約10年間、テレビメディアでも仕事をしていました。「三国人発言」以前は、生活の中心はビジネスであり、その傍らでさまざまな市民運動にも関わってきました。それは、名前が世に出たものが果たすべき責任だと感じていたからです。しかし、自分で団体を立ち上げて抗議活動をするのは初めてのことでした。

それほどこの発言は私にとって危機感を感じさせるものだったのです。

石原慎太郎の差別・扇動発言はもちろんこれだけではありません。主なものだけでも、次のような発言がありました。

『石原やめろネットワーク』

 都知事という公職にありながら差別・扇動発言を繰り返す石原慎太郎に対抗するため、『石原やめろネットワーク』を立ち上げました。そして、記者会見、抗議活動などを経て、ジュネーブで開催された国連人種差別撤廃委員会に赴き、委員会からの勧告を勝ち取りました。

 2001年3月、日本政府の報告書に対して出された人種差別撤廃委員会の最終所見では、名前は明記していないものの、石原都知事による差別発言と、このような差別行為が処罰されずにいることを問題だと指摘し、 再発防止と、さらに石原をはじめとする公務員や行政官に対して適切な教育を施すことを勧告 しています。
(全文はこちら:https://imadr.net/wordpress/wp-content/uploads/2019/10/CERD-CO-2001-J.pdf

多文化探検隊(2000年自治研大賞受賞)

ワンデイホームステイ

しかし日本社会は私の思いとは異なる方向に動き、石原都知事は何度も再選され、多くの都民から支持され続けました。

そして、石原的なものは社会的認知を得て拡散され続けました。国連からの勧告が出ても、記事になることもほとんどなく、日本政府も一貫して無視し続けました。

唖然としました。

2002年の小泉訪朝で共和国(北朝鮮)による日本人拉致事件が判明すると、その怒りは足元にいる「在日」に向かって吐き出されました。特に民族学校に通う児童がターゲットにされ、のちの日弁連の調査では、約1000件にも上る被害が報告されました。

当時銀座にあった私の会社もターゲットにされただけではなく、全国各地から、被害の相談と支援のお願いで約350件の電話がきました。いずれも日本社会でひっそりと生きていた人たちで、拉致報道があってからなぜか周囲の空気が変わり、いじめが始まり、その結果自身の出自を知る、といったことなどが起こりました。被害者の多くは、すでに日本国籍を取得していたり、国際児であったり、民族団体にも所属していないような人たちでした。

350本の電話のうち、私が対処できたのは2件だけでした。まったくのお手上げ状態でした。

一カ月後、ようやく記者会見を開き、マスコミ関係者は100名以上来ましたが、一件の記事にもなりませんでした。

マスコミ関係者からは「ひと月も何をやっていたのですか?」と、タイミングが遅すぎると言われましたが、記者会見をしようにも多くの在日は怖がって出てくれないし、私自身、自分にきた嫌がらせへの対応と全国から寄せられる相談で、身動きが取れなかったのです。

レイシストが社会の表舞台に登場

2007年頃からは、「在特会」が表に出始め、旧植民地出身者に対するヘイトスピーチが公然と行われるようになりました。

在日に対するヘイトクライム  

在特会などのレイシストに対して、多くの名もなき人たちが自らの意思で立ち向かう姿には、この社会の良心を見る思いでした。当初、レイシストはごく一部の人がやっているだけだから放置すればいいと言われていましたが、多くの人が見て見ぬふりをした結果、SNSなどのメディアを通じて、加速度的に在日に対する憎悪が広がりました。「良い韓国人も悪い韓国人も殺せ」と書かれたプラカードを掲げたヘイトデモの登場を目の当たりにして、ここで黙っていたら生きている意味がないと思いました。

のりこえねっと

そこで、周囲の反対を押し切って、2013年秋に、反ヘイトの国際ネットワーク「のりこえねっと」を立ち上げました。友人知人に声をかけ、雁屋哲さんをはじめ22名の方に共同代表になっていただき、後発ではありましたが反ヘイトの布陣の中に入れてもらいました。そして、のりこえねっとTVの放送など、各種情報の中継点として精力的に活動を続けています。

のりこえねっと 

のりこえねっとへの支援のお願い

こぎつねの家

2015年には、旧植民地出身者とその家族の語り合いの場『こぎつねの家』を、ドイツ在住の友人たちと東京・世田谷で立ち上げました。(現在は、東京郊外に移転)これは、自分の周囲に自殺者が何人もいただけでなく、「在日」の自殺率が世界で最も高いことを知ったからです。せめて、一食食べているときだけでも、生きていてほしいと願ってのことでした。

在日の自死率

こぎつねの家 

こぎつねの家へのご支援のお願い

ターゲットになっても、闘うしかない。

2017年1月2日、TOKYO MXTV(地上波)で放送された『ニュース女子』という番組の中で、私は、沖縄関連のデマを根拠に「犯罪行為をする人たちに日当を渡して反基地運動に送り込んでいる黒幕」だと名指しされました。それから始まった嫌がらせは常軌を逸したもので、私や家族の日常生活にまで影響するものでした。

社会学者の明戸隆浩さんは『ニュース女子』を、「米国のトランプ大統領が広めたような、陰謀論に乗った新しい形のヘイトスピーチ」だとし、その手法を「ただ口ぎたなく相手を侮辱するのではなく、巧妙に根拠のないデマを流して物言う人を黙らせ、社会の分断を促進させていく」やり方だと指摘しています。デマを前提にしながら番組内で意見を交わすという形式をとるため、被害者が反論することも難しく、「『ニュース女子』は街頭のヘイトスピーチの先を行っていた」と。

この番組は、日本で流されたフェイクニュースの見事な完成形だったと言えるでしょう。

番組はその放送直後から問題になり、BPO(放送倫理・番組向上機構)の放送倫理検証委員会放送人権委員会がそれぞれ決定を出しました。まず放送倫理委員会が、これは「あってはならない番組」だったと認定し、 2018年、放送人権委員会は番組内容が人権侵害・名誉毀損に当たるとする委員会決定を行いました。

これを受けてTOKYO MXTVの社長らは「お詫び文」を出して謝罪、『ニュース女子』は東京の地上波から排除されました。(謝罪の写真)

私は2018年にこの番組の制作会社DHCテレビジョンに対して名誉棄損で裁判を起こしました。一審判決は2021年秋の予定です。

DHC裁判とは

      1. 『ニュース女子』とはどんな番組か
      2. 番組で流された主なデマ
      3. 「のりこえねっと」の抗議声明
      4. DHCとはどんな企業か
      5. 各地での抗議活動
      6. 放送関連のマスコミ報道一覧
      7. BPOによる認定
      8. TOKYO-MXTV社長の謝罪
      9. DHC裁判の経過

2000年から20年以上がたちました。気が付けば、日本社会には「石原的」なものが蔓延しています。正直、ため息が出ます。

それでも、私の抗いはいまも続いています。

中立や両論併記は問題の解決にはならないという社会の空気もやっと出てきました。

闘う地方紙、現場にかけつけるジャーナリスト、声をあげ続ける反差別のカウンターの人たち。彼らの背中の向こうに、かすかな未来が見えるのです。

私は、私の目の前の問題と向き合います。あなたは、あなたの問題と向き合ってみてください。

しんどい時は、休みましょう。

生きている間に解決できないこともたくさんあります。それでも、忘れないでいることが、次の一歩になります。私たちの生活は、人間の歴史の中の、多くの人々の犠牲の上に成り立っています。

そうやって、人類は少しづつ「欲」を調整しながら、共に生きる道を作り上げてきたのですから。

最後に、闘い始めは孤独を感じます。しばらくすると、不愉快な人たちにうんざりします。でも、長く、あきらめずに声をあげていると、「友達」ができます。一生の友達です。信頼しあえる友がいるって、豊かな人生なのだと思えるのです。

2021年6月1日 日本・東京にて