韓流エンタメでカンパ〜イ Kpop 「ジョンヒョン 一日の終りに」

ジョンヒョン「一日の終わりに」

 2017年12月18日、一人のK-Popスターが自ら命を絶った。シャイニー(SHINee)メン
バーのジョンヒョン(享年27歳)だ。
 ジョンヒョンは2008年にシャイニーのメインボーカルとしてデビューした。ダンスもフ
ァッションも時代の最先端を行くグループで、デビュー当時から賞を総なめし、東京ドーム
も満席にするほどだった。その人気は今も続いている。
 ジョンヒョンの歌声は繊細で、いまも多くの人の心を魅了する。しかし、感受性の鋭さ
が、そのまま社会の生きづらさを反映してしまったのだろう。
 遺体を発見したのはジョンヒョンの姉で、彼はそれまでにもいくつかのサインを出して
いた。以前、ジョンヒョンは酔って家に帰り、母と姉に「幸せか?」と問いかけたことがあ
る。二人が幸せだと答えると、自分も幸せになりたいと泣いたという。
 当時はシャイニーとしても絶好調の時期だったために、彼の心の闇は見過ごされてしま
った。
 韓国の芸能界では、確かに自殺記事がよく出る。
 日本も自殺率の高い国だが、日本社会における在日の自殺率は日本人の2倍である。要
は、抑圧の重さと深さに、自殺率は比例しているのだろう。死ぬほうが生きるより楽とい
う社会を、私たちは自分をだましながら生きているのかもしれない。
 ジョンヒョンの死は、たとえ勝ち組になろうと、世界中にファンがいようと、苦しみ・
孤独からは解放されないことを語っている。

 彼のソロ曲に「一日の終わりに」がある。
(全訳はメーリングリストで見てください)

『♪手をこちらに 僕の首を包み込んでよ 疲れて果てた今日の終わり、一日中別世界に
いた二人・・・・おつかれさま ごくろうさま 心から泣くことも 心から笑うこともなく 
疲れてしまった一日の終わり・・・・おつかれさ ま 本当に大変だったね・・・・』

 スゴヘッソヨ(大変だったね)、コセンヘッソヨ(苦労したね)と何度も繰り返される
と、本当に自分が疲れているんだなぁと思い知らされる。この歌がいまも多くの人を魅了
するのは、互いにいたわりあう優しい関係性を歌っているからだ。


 日本経済は底をついたのではなく、底が抜けた。これからは、貧困がすぐ隣りにある生
活を多くの人が強いられる。そんな中、定年後、家庭に居場所がない男性が少なくない。
 先日熟年離婚を強いられた友人は、妻に十年近くも口をきいてもらえなかったという。
離婚の理由は子育てを手伝わなかったからと言われて、彼は「そんなことで」とため息を
ついていたが、もうそこでアウトだ。
 育児の過酷さや孤独をまったく理解していない。尊敬に値しない男でも金を持ってくる
から頭を下げていたという現実への認識もない。そのうえ昭和頭で退職後も家で部課長づ
らする男なんかと一緒に暮らせるはずがない。
 声をあげられなかった人々の多くは、国や政治にも、パートナーにも、ジョンヒョンの
ような繊細で優しい感性を求めているのだと思う。■

シャイニーのジョンヒョンのソロ曲「一日の終わりに」
https://www.youtube.com/watch?v=2CeN5YeXThc
 以下辛淑玉意訳

 手をこちらに 僕の首を包み込んでよ
 もっと肩の方まで包み込んで
 疲れて果てた今日の終わり
 もう陽が昇っていても
 やっと目を閉じれるよ
 誰よりも遅くに扉を閉じる
 僕の一日に
 いたずらに耳たぶをくすぐって
 一日中別世界にいた二人
 いつも一日の終わりは一緒にいて
 君のその小さな肩が
 君のその小さな二つの手が
 疲れてしまった僕の一日の終わりに
 真綿のようにつつんでくれて
 おつかれさま 本当に大変だったね
 君にも僕の肩が 武骨な手が
 疲れてしまった君の一日の終わりに
 暖かい慰めとなることを
 自然な息遣いで君と呼吸を合わせ
 隙間なく君を包み込む中は
 浴槽の中の水のように
 一瞬の隙間もなく包み込む
 不器用で間違いだらけの
 恥ずかしい僕の一日の終わりには
 君という誇り高い存在が
 僕を待っていてくれる
 君のその小さな肩が
 君のその小さな二つの手が
 疲れてしまった僕の一日の終わりに
 真綿のように
 おつかれさま ごくろうさま
 心から泣くことも 心から笑うこともなく
 疲れてしまった一日の終わり
 それでもあなたの傍らで
 子どもみたいにぐずって
 息が切れるほど笑って
 僕も恥ずかしい自分と向き合ってみる
 おつかれさま 本当に大変だったね
 あなたは僕の輝きです

韓流エンタメでカンパ〜イ 韓ドラ『イカゲーム』

「イカゲーム」
-誰に殺されるのか、なぜ殺されるのか-

 韓国エンタメのレベルが高いのは、多くの困難がこの小さな国に集中したことで、多様
なエピソードに事欠かないからだ。
 日本による植民地支配からの解放後も、朝鮮戦争と国家の分断、国策移民、軍事独裁政
権による圧政と民主化、通貨危機とIMFによる経済破壊、急激な新自由主義、さらにはSA
RS、MARS、コロナといった感染症までが、わずか70年ほどの間にこの国を襲った。
 こうした困難が生み出す多彩なエピソードが詰まったコンテンツが世界規模の配信サー
ビスに乗れば、おのずと世界の人々の心をとらえることになる。
 映画『パラサイト』は、絶望的なほど越えがたい社会階層の壁を見せつけた。そして
『イカゲーム』は、新自由主義とはいったい何か、いまの私たちの苦しさはどこから来る
のかを、言葉を超えて見事に描き切っている。
 物語では、借金を背負った人たちが、賞金に誘われて闇ゲームの会場にやってくる。し
かし、そこで行われているのは、敗者がその場で射殺される命がけのゲームだった。
 軽い気持ちで参加した者たちはパニックに陥るが、既に「だるまさんがころんだ」のゲ
ームが始まっており、少しでも動いた者は次々に射殺されていく。
 最後までゲームに勝って生き残れば、参加者数×1億ウォン(約1千万円)が勝者の手
に渡される。その額は456億ウォン。
 ゲームは至って簡単で、「だるまさんがころんだ」「型抜き」「綱引き」「ビー玉」
「飛び石」といった、世界中の誰もが子どもの時に遊んだことがあるものばかり。最後だ
けが、韓国の子どもの遊び「イカゲーム」だ。
 こんなことで殺されるのか、いったい誰が自分たちを殺すのか、まったく見えないまま
ゲームは進む。そしてこのゲームにはもう一つのルールがあり、参加者の過半数がゲーム
を止めようと言えば生き残りは全員帰される。
 彼らは恐怖から一度ゲームを中止し、それぞれの日常に戻るのだが、戻ってみればその
日常こそが「地獄」そのもので、そこから抜け出すために、結局また自ら望んで「賞金
ゲーム」に参加してしまう。
 実はこのゲームは金持ちの娯楽として仕掛けられていて、富裕層は参加者には見えない
ところから殺し合いを見て楽しんでいた。
 しかし、闘っている者はその構造を知らない。ただ借金から逃れるために、命を懸けて
他者を追い落としていく。すさまじい殺戮の連鎖に、直視できないという人も少なくない。
だが、リアルな社会には、まさに、直視できないほど過酷な死があふれている。
 かつて、「働けば自由になる」と標語が掲げられたアウシュヴィッツに送られたユダヤ
人たちは、誰に殺されるのか、なぜ殺されるのかも知ることなく事切れていった。温暖化
で家も故郷も沈んでいく島国の人々も、米国が武器の在庫処分のために始めた戦争で殺さ
れた人々も、渋谷区幡ヶ谷のバス停で朝を待って野宿していた女性も、殺される側は、い
つも、何もわからないままなのだ。
 たとえ民主主義のルールである「投票」があっても、人々は、目の前の辛さのために、
「生き残りゲーム」にその身を投じる。
 地獄とは、まさに、私たちの社会そのものなのだ。そしてそれは、まごうことなき新自
由主義の姿だ。
 「イカゲーム」は、自らの手で民主化を勝ちとった韓国社会だからこそ生み出せた、抵
抗と告発のエンタメだと思う。■

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『イカゲーム』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=gSR7gMOGw6I

韓流エンタメでカンパ〜イ 華流ドラマ『花と将軍』

華流ドラマ『花と将軍』(2017年)

 日本人がアメ車に憧れを抱いていた時代、エンタメといえばハリウッドだった。ジャパ
ン・アズ・ナンバーワンといわれた時代には『おしん』が世界中で人気を集めた。
 そして今、一歩海外に出ればどこでもファーウェイとサムスンに囲まれる。そこに華
流・韓流エンタメが流れ込んだ。
 中でも、悲喜劇が集約された歴史を持つ韓国は、世界に通じる「あるある」を提供しや
すい。なにしろ、植民地支配、内戦、民族分断、冷戦、兵役、難民、IMF(国家経済の破
綻)といった世界共通の課題に、儒教をベ―スにした女の悲劇が加わるのだ。
 以前、トルコの友人宅で家族みんなが韓ドラで盛り上がる姿を見たときは「え、ここで
も?」と心底驚いた。女性を取り巻く不平等な環境は、日本も他の国も、例えばタリバン
のアフガニスタンでも変わらないからだ。
 そんな韓流に比べて華流(中国語文化圏の作品)は少し遅れをとっているように錯覚す
る人もいるが、華流エンタメの経済圏は中国本土、香港、台湾、シンガポールと大きい。
それだけで十分採算が合うのだ。 その上、中国経済をバックに資本力で世界的に有能な人材を集めて作品作りをしているのだから、どんどん面白くなるのは当たり前。
 その一例が『花と将軍』(2017年)だ。
 放送直後から人気が急上昇し、動画配信サイト「Youku」だけの独占配信で、あっとい
う間に総視聴回数60億回を超えた。日本でもすでにいくつかの局で放送されている。
 内容はあの漫画『ベルサイユのばら』の中国歴史版とでも言おうか。物語は強い女性将
軍と軟弱で遊び人の皇族との政略結婚からスタートするが、二人は徐々にお互いを理解し、
手を取り合って難題を解決していく。利発な妻が夫の良い部分を見抜いて活用するという、
夫育成痛快活劇でもある。
 で、映像美が素晴らしいのだが、なんと衣装はワダ・エミで、美術が小澤秀高、音楽が
岩代太郎と、日本の世界的職人が参画しているのだ。画面に映る衣装の美しさは、ほれぼ
れするほどだった。
 華流ドラマの難点は1作品が長いこと。50話以上あるのはざらで、中には200話とか300
話のものさえある。で、選ぶのに困ったらまずは「宮廷もの」。これは失敗が少ない。
 華流エンタメに慣れない人は、同じ原作から複数の国で制作されているものが見やすい
かもしれない。
 例えば『麗〈レイ〉~花萌ゆる8人の皇子たち~』(韓国2016年)/『宮廷女官 若
曦』(中国2011年)、『彼女はキレイだった』(韓国2015年)(中国2017年)(日本20
21年)などだ。
 『彼女はキレイだった』は、ある男性が、子どものころ綺麗であこがれていた同級生を
探して会いに行くが、変わり果てた彼女に気づかず、他の女性を彼女と思い込んだところ
からスタートする。しかし、その後その同級生と同じ職場になり、気が付けばその人に再
び恋をしていたというラブコメ。
 要は、外見ではなく、その人柄・内面が好きだったということ。
 『花と将軍』は、男は年を重ねるごとに渋く、女はいつまでも若々しくという不愉快な
メッセージに抗うかのような「カッコイイ女」が主役だ。その爽快さは、内面の美しさ
に「女らしさ」「男らしさ」などないと言っているかのようだ。■

韓流エンタメでカンパ〜イ 韓ドラ『愛の不時着』

『愛の不時着』

 空前の大ブームを巻き起こした『愛の不時着』。
 韓国の財閥令嬢で実業家のユン・セリ(ソン・イェジン)がパラグライダーで飛んでい
て突風に巻き込まれ、軍事境界線(38度線)を越えた北に不時着。それを助けたのが、北
朝鮮高官の息子で人民軍将校のリ・ジョンヒョク(ヒョンビン)だった…。
 もう、この設定だけで見る気が失せた。
 2020年までの韓流ドラマの主流は、力ある者との恋だった。朝鮮王朝の王様や世子(王
子)、財閥トップや大統領とのシンデレラ物語だ。で、ネタが出尽くして北朝鮮にまで行
ったというのが見え見え。
 しかし、周囲の反応は私とは全く逆で、みんなワガママ娘に献身的に尽くすジョンヒョ
クの虜になり、全16話を寝ないで通しで見たという輩が続出した。
 『愛の不時着』のストーリーは、1999年に伝説的な人気を誇った『猟奇的な彼女』にも
通じるもので、男がせっせと女に尽くすというパターンを見事に踏襲している。しかもそ
の男がハンサムで礼儀正しくてとくれば、そりゃハマるだろう。
 で、一番驚いた感想は、財閥令嬢の贅沢な消費に一喜一憂する村の人たちが「人間らし
く描かれていた」というもの。その言葉の裏にある差別性に気が付いていない。
 物語の前半では、セリが身を隠している北朝鮮の農村での日常や闇市場など、人々の生
活や人間関係が描かれ、後半になると、ジョンヒョクの率いる部隊が任務のため韓国に入
り、そしてセリとの韓国での生活が始まる。
そこに、利権問題や様々な事件が絡み合うのだ。もちろん韓ドラの定番である、かつてど
こかで出会っていたという「運命の人」設定もきちんと織り込まれている。
 前回の『太陽の末裔』が朴槿恵政権の国策映画なら、これは西側礼賛映画と言える。
 朝鮮半島は、第二次世界大戦の悲劇が今なお終わっていない場所だ。その後の朝鮮戦争
を経て、今も民族の悲劇は続いている。離散家族の問題だけではない。在日も、軍事独裁
政権によるスパイでっち上げ事件などで、何人もの人が殺されている。
 北朝鮮を描く映画は、既にジャンルとして確立していると言ってもいいだろう。しかし、
このドラマのむごいところは、西側の眼差しで北の貧しさを懐かしみ、経済格差を見せび
らかしてエンターテインメントにしている点だ。
 北の貧しさは米国による経済制裁を抜きにしては語れないし、南北分断は日本による植
民地支配がなければあり得なかった。そこから始まった悲劇は今も続いている。
 90年代末の飢餓のとき、自分の赤子のお腹に銅線を詰め込んで中国に運ぼうとした若い
お母さんがいた。官憲に拘束され、子どもを降ろせと言われてもずっと泣き続け、やっと
のこと子どもを机に置いたとき、血みどろの赤子の腹から銅線の束が出てきて、取調室の
誰もが言葉を失った。その沈黙の意味を伝えられるだけの力量が演劇には欲しい。
 生きるための子殺しに闇物資の運搬。普通なら死刑だが、彼女はそのまま釈放されたと
いう。
 北朝鮮を消費材としてドラマ作りをする人たちは、あのときの北朝鮮の人々の哀しみを、
一度でも理解しようとしたことがあっただろうか。エンタメで北の高官の息子との恋だな
んて、勘弁してほしい。■

予告編
https://www.youtube.com/watch?v=zPe5AdGCszc

名シーン
https://www.youtube.com/watch?v=j12lGhi8-_U
https://www.youtube.com/watch?v=VE5QVF_P4TY

予告編
https://www.youtube.com/watch?v=zPe5AdGCszc
名シーン
https://www.youtube.com/watch?v=j12lGhi8-_U
https://www.youtube.com/watch?v=VE5QVF_P4TY

韓流エンタメでカンパ〜イ『太陽の末裔』(全24話)

 ソン・ジュンギ主演の『太陽の末裔』(2016年)は、韓国内で最高視聴率41.6%を記録
し、この年の賞を総ざらえした。すでに世界32カ国以上で放送されている伝説のラブス
トーリーである。
 彼は『ときめき成均館スキャンダル』(2010年)から人気が出始め、役柄は甘ったるい
学生だったり可愛い世継ぎ役だったりしたが、『太陽の末裔』では特殊部隊のエリート軍人
ユ・シジン役をこなした。
 甘いマスクの童顔に軍服、しかもおちゃめで、好きな女性には積極的にアタックするが、
任務が下るとデートの途中でも行き先も告げずに消える。時にはヘリコプターが彼を迎え
に来ることもある。いったいこの男、何者?。

 口説かれたのは強気な医師カン・モヨン(ソン・ヘギョ)で、シジンらの携帯をひっ
たくった青年が事故で病院に運び込まれたのをきっかけにシジンと出会った。
 徐々に惹かれあう二人だが、謎が多く仕事優先のシジンとは無理と判断して別れる。し
かし、モヨンが医療団として派遣された紛争国で偶然二人は再会する。彼は治安維持部隊
の隊長として派遣されていた。
 自分の危険な仕事について、シジンは「兵士は命令で動く。たとえ私が善だと信じる信
念が誰かにとっては別の意味であっても、私は最善を尽くして与えられた任務を遂行する。
これまでに3人の戦友を作戦中に失った。彼らと私がこの仕事をする理由は、それは誰か
が必ずしなければならない仕事であり、それは私と私の家族、カン先生とカン先生の家族、
その家族の大切な人たち、その人たちが生きているこの地の自由と平和を守るためだと信
じているからだ」と語る。
 そしてモヨンに、「僕、やることはやる男です。僕のやることの中には、僕が死なない
ことも含まれてるんだ」と笑う。モヨンは、せめて「任務」が下りたことだけは教えてね
と、恋人の「仕事」を受け入れる。
 これって、「死」を背後に感じさせて視聴者を惹きつける、王道の軍人ラブストーリー
だ。大義のための自己犠牲の美しさ。
 紛争国の設定は明らかにISなどのイスラム圏を想定していたり、なにかと北朝鮮が絡む
という、ハリウッド映画の仮想敵がいつもソ連だったのと同じパターン。
 二人の初デートは映画。席についたモヨンが上映前に「明かりが消える直前が一番とき
めくの」と話すと、シジンは「私は、人生で今が一番ときめいている」「明かりが消える
直前に美しい人と一緒にいるから」とささやく。
 韓ドラって、こういう歯の浮くような会話が途切れることなく続くのだ。沈黙は金とか
質実剛健なんて言葉はどこにもない。チャラく、愛くるしく、マメで優しい。
 人の命を預かる医者が人を殺すことを任務とする軍人に恋をし、正義のための任務遂行
を美とするドラマが世界的に支持されるって、どんだけ危ないか。
 軍人が国家に忠誠を尽くすということは、人を殺すときも自分の頭では考えないという
ことなのに。
 でもね、ほどけた恋人の髪を結びながら「自分にできることをしてもらうのが恋愛で
す」という軍人男に、「憲法」しかかかげられない新社会のおっちゃんは勝てるだろうか
…。無理だろうなぁ。
 こうやって、戦争賛美は続くのだ。■

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<ml 用)

「太陽の末裔」公式HP
https://kandera.jp/sp/taiyou/
「太陽の末裔」PR動画
https://www.youtube.com/watch?v=_LOFrAtazDY
第一話 無料公開
https://www.youtube.com/watch?v=AEtfsGNvnIo

韓流エンタメでカンパ〜イ 映画『金子文子と朴烈』

長い間、金子文子はなんであんなチャラい男(朴烈)を好きになったんだろう、と疑問に思っていた。
 映画『金子文子と朴烈』(2017)は、この二人の実話を映画化したものだ。
 文子と朴烈が生きた時代は、朝鮮半島が日本の植民地として完成した1920年代。二人は東京の、社会主義者が集まる店で出会った。このとき文子21歳、朴烈22歳。
 先に口説いたのは文子の方で、その口説き文句は「一緒に仕事がしたい」だった。文子は、会う前から、朴烈が投稿した『犬ころ』という詩に心を射抜かれていたのだ。
 『私は犬ころである/空を見てほえる/月を見てほえる/しがない私は犬ころである/位の高い両班の股から/熱いものがこぼれ落ちて/私の体を濡らせば/私は彼の足に/勢いよく熱い小便を垂れる/私は犬ころである』(朴烈1922)
 二人は、関東大震災(1923)時の朝鮮人虐殺から人々の目をそらしたい国家権力よって、『大逆罪』(天皇・皇族に危害を加え、または加えようとした罪。量刑は死刑)に仕立て上げられた。朴烈が爆弾で天皇を狙い、文子もそれを知っていたというのだ。
 しかし、朝鮮人虐殺が世界に知られつつある中、大逆罪で死刑など執行したら、朝鮮半島の独立運動に火を付けかねない。それを恐れた権力は、天皇の慈悲による「恩赦」という形で無期懲役に減刑することで、二人を葬り去ろうとした。
 映画の中で再現された二人の裁判闘争は、徹底的に権力をコケにした見事なものだった。
 まずはチョゴリで出廷することから始め、裁判官には朝鮮語で挨拶し、房では断食。どうせ死刑になるのだからと「朝鮮戸籍」に婚姻届を出させ、その上で、直球の天皇批判を展開した。
 文子が取り調べで「朴烈を教育したのは私だ」と言い放つ姿は痛快だった。「女の後ろには男がいる」という定番のステレオタイプをひっくり返しただけでなく、天皇を頂点とする男権支配構造自体にも刃を突き付けたのだ。
 文子は、無戸籍で生まれ、その存在がはじめから否定されていた。親に棄てられ、教育も受けられず、果ては朝鮮へ養女という名の女中奉公(奴隷)に送られた。その後も、地獄のような時間を生き延びてきたのだ。
 獄中で書かれた文子の唯一の書『何が私をかうさせたか』の中に、朝鮮人の下男が、一枚しかない服を洗って乾かしたいから一日だけ休みをくれと日本人の主人に願ったところ、主人たちは嘲笑し、休みは与えなかったという記述がある。恐らく文子は、そのおぞましい笑いの裏にある差別の構造を全身で感じ取ったのだろう。
 朴烈は、獄中闘争を経て敗戦後に釈放され、その後は民団の初代団長になるという、カリスマ的な空間を渡り歩いた。彼の背中にはいつも「祖国」「民族」といった大義が枕詞のように並び、最後まで時代の空気に乗り続けた。
 一方、文子は1926年に宇都宮刑務所で遺体となって発見された。遺書はなかったが、自殺なら、天皇の名の下で殺されることを決して許さず、私の身体も私の心も私のものだという信念を貫いたのだろう。
 この映画は、自ら退路を断って「天皇」と向き合い、決して自分だけ助かろうとはしなかった文子を、見事に描き切った。
 そんなすさまじい女性を相手にできたのは、考えなしのバカ野郎だけだったのかもしれない。

公式サイト
http://www.fumiko-yeol.com/

予告編
https://www.youtube.com/watch?v=8ds6lO6GNc8&t=29s

 

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