マスコミ市民 小説『ハヨンガ』

小説『ハヨンガ』

 女の私が見ている世界と、「男」が見ている世界は、果たして同じなのだろうか。
 1980年頃、私は広告代理店の特別宣伝班として日本各地を巡っていた。泊まるのは安い
ビジネスホテルだ。
 部屋のテレビには必ずと言っていいほどポルノチャンネルがついていた。そこに流れる
ビデオの多くは複数人で女性を凌辱し、男たちの笑い声が聞こえるものだった。
 1995年頃、パソコンを使い始めてみると、送られてくる宣伝メールの内容はエログロば
かりだった。ネットの世界では男のための性広告がこんなにも大量に送られているのかと
辟易した。
 インターネットが簡便に使えるようになると、犯罪的なポルノ産業は飛躍的に市場を伸
ばしていった。児童ポルノに関しては、日本は絶えずその最大の産出国として名前が挙げ
られる。女性の社会進出が進み、セクハラは犯罪だという認識が社会的に定着してきた今
でも、女性を性的商品として消費する仕組みは、手を変え品を変えて男の元に届けられて
いると言っていいだろう。
 私自身、仕事の中でのセクハラ被害は日常的にあった。それだけに、この手の性被害記
事や小説を読むのはしんどくて、必要最小限のものだけにしていた。
 しかし、㈲アジュマ出版から6月16日に発売された『ハヨンガ』は違った。読み終えた
ときには、身体の中から血が沸き立つような思いだった。
 「ハヨンガ」とは、韓国語の隠語で、男が女を買うときにかける言葉だ。『ハヨンガ』
は事実をベースにしたドキュメンタリー小説である。
 2015年、韓国最大のアダルトサイト「ソラネット」は、素人ポルノ動画の共有サイトだ
った。
 「招待客募集」というタイトルの動画では、何らかの方法で意識を失わされた女性が凌辱
されていた。「招待」された客は、指定されたホテルの一室でその犯罪行為に加わるのだ。
そんな動画が、見て喜ぶ男たちの世界で拡散されていった。
 サイトの中は女性嫌悪に満ち溢れ、餌食にされた女性は「雑巾女」(男によって性的に
使い古された女の意)などと呼ばれていた。
そして、行為後の写真や動画もまた「記念写真」としてネットに上げられた。
 明らかな犯罪行為が行われているのに、当初、警察が積極的に動くことはなかった。
 被害女性の方が社会的に抹殺されてしまうのは日本も韓国も同じだった。しかし、韓国
の女たちは、自警団を作ってこのサイトに殴り込みをかけたのだ。
 自らを守る女たちの秘密グループ「メデューサ自警団」。専門知識もなければ組織ら
しい組織もない。あるのは怒りだけ。男の横暴を許せないと思った女性たちが、とにかく
行動しなければという熱い思いを持って集まったのだ。
 活動は隠しカメラ販売禁止法制定のキャンペーンから始まり、公衆トイレに盗撮禁止の
貼り紙を貼ったり、国際請願サイトにソラネット閉鎖の要望を出したり、メディアに関心
を持ってくれるよう働きかけたりもした。
 そして、自然に多様なプロジェクトチームができていき、ネットの監視、通報、各種コ
ミュニティへの告発など、誰かが命令しているわけではないのにみんなが一糸乱れぬ動き
をし、どんどん闘い方が進化していった。
 ソラネットに対しては、サイトの中で、激しい罵詈雑言を駆使して男たちを罵倒した。
「雑巾女」並の下劣な言葉を使い、相手の差別を鏡に映すような形で攻撃したのだ。そし
て、サイトを男への侮蔑でいっぱいにして、見ることができないようにして奪い取った。
 女たちは見事に犯罪サイトを閉鎖させた。
 さらに、被害者に同情的ではあっても何もしない男は加害者と同じで女が付き合うに足
る男ではないとして三行半を突きつけるその姿に、思わず拍手してしまった。
 この小説の中に登場する被害女性は、弱くみじめな存在ではなく、強く気高く美しくて、
圧倒されてしまうほどだった。こんなドキュメンタリー小説を読んだのは初めてだ。
 彼女たちの行動が、その後の「N番部屋」性暴力事件の解決にもつながった。
 女が見ることのできなかった男社会の恥部を知った女たちは、もう黙ってはいないと、
男の望む女像などさっさと脱ぎ捨てていく。
 そこから初めて自己奪還が始まるのだと、この小説は教えてくれている。■

マスコミ市民 映画『グッド・ライ』2014 米国


 -再生の物語として-

 フィリップ・ファラルドー監督の『グッド・ライ いちばん優しい嘘』を見た。
 スーダン内戦(1983)で故郷を追われ、両親と死別したり一家離散した10万人以上の子
どもたちが、その10年後、アメリカとスーダンが協力した計画により、全米各地に移住し
た。この映画は、「ロストボーイ」と呼ばれた彼らの物語だ。
 映画評では、ヒューマンストーリーだとか、アメリカの偽善であるとか、その見方は様々
だった。しかし、共通して指摘されているのは、難民の目線で見たときの、いわゆる先進
国といわれる国々の矛盾である。
 しかし、この映画は、そんな定番のメッセージを送るために作られたのだろうか。少
なくとも私の目には、これは「再生の物語」だと映った。

 主な登場人物は、難民一家の
  ・テオ(兄)
  ・アビタル(妹)
  ・マメール(弟) 
 別の難民一家の
  ・ジェレマイア(兄)
  ・ポール(弟)
 の兄弟姉妹たち。

 この物語では、スーダンのある村で暮らす家族が襲撃を受けて、両親は殺され、残され
た子どもたちも避難する中で一人ひとり事切れていく。長男テオは、弟妹を連れて安全だ
と言われていたエチオピアにたどり着こうとするが、そのエチオピアから戻ってきた難民
たちからエチオピアも安全ではないことを知り、その中にいた兄弟(ジェレマイアとポー
ル)と一緒に、行き先を変えてケニアへと向かう。
 しかし、その道程でテオも捕らえられてしまい、残された妹のアビタルと弟のマメール
が、ジェレマイアとポールとともに、命からがらケニアの難民キャンプにたどり着く。12
56キロの道のりだった。
 このとき、過酷な経験を共にしてきた彼らは、すでに強いつながりを持つ「家族」とな
っていた。
 その後、彼らはキャンプの中から選抜されてアメリカ移住のキップを手にするが、アビ
タルだけは異なる地域に引き取られることになり、彼らはまた離散する。
 たどり着いた米国での生活は、生まれて初めて見るものばかりで、電話やベッドの使い
方もわからず、彼らは周囲を苛つかせながらなんとか異文化を身に着けていく。

 出演していたのは難民当事者であり、だから彼らの演技には、まさに当事者ならではの
戸惑いが映し出されていた。
 例えば、スーパーに職を得たジェレマイアは、まだ十分食べられるものを廃棄するルー
ルに戸惑い、同時に、ゴミ箱(廃棄BOX)をあさるホームレスの姿を目の当たりにする。
そして、「与えないのは罪です」と、店の責任者に逆らって廃棄食材を野宿者の女性に与
える。
 アメリカ社会(商業主義)のひずみを映し出していると評されるシーンだが、私はそこ
にスーダンの人々の精神世界を見た。
 ジェレマイアを演じたゲール・ドゥエイニーは、世界的なトップモデルでもある。19
78年、スーダン南部(現在の南スーダン)で生まれ、内戦で一家離散し、強制的に少年兵
として徴兵された経験を持つ。14歳でエチオピアの難民キャンプへと逃れ、その後、第三
国定住政策で米国に移住。2010年、祖国南スーダンに戻り、ようやく母親や兄弟と再会
を果たした。
 米国に着いた途端離れ離れになったアビタルとの再会がかなったときのジェレマイアた
ちの喜びようの裏に、スーダン内戦によって過酷な時間を共に過ごしてきた彼らの姿が垣
間見える。
 その後、物語では、ケニアの難民キャンプでマメールやアビタルを探している男がいる
という知らせを聞いて、兄のテオではないかと思い、代表してマメールがケニアに向かう。
 兄との再会は喜びだったが、結局兄に出国許可は下りなかった。そこでパスポートの偽
装をし、自身のパスポートを兄のものとして兄テオを米国に向けて出国させ、マメールは
難民キャンプに残って医療活動を続けるというところで終わる。
 タイトルはまさに、「嘘」は誰のためにつくのかという問いを私たちに投げかけるのだ
が、一方で、難民キャンプに残ったマメールの姿は、スーダン再生の最初の一歩のようだ
った。
 離散した家族が、新しい家族を得、離合集散を繰り返しながら、難民キャンプに戻る。
マメールはここで新しい家族・地域を作るのだろう。それこそが南スーダンの文化だから
だ。家族や地域のために生きる文化。
 映し出される子どもたちには生きる力が、ある。南スーダンの人々の、逆境に向き合う
んだという、人間としての強さがみなぎっている。

 2011年に南スーダンが建国されたが、今も課題が残っている。アフリカの傷は深い。
 帝国による植民地化と殺戮の歴史は、今でもアルコール依存症、レイプ、難民施設での
自殺者の増加など、様々な困難をこの地域に残している。スーダンからの難民・避難民は
2019年時点で7千万人を超えている。第三国が受け入れた再定住者は7%にも満たない。
その歴史を踏まえてこの映画見ると、単なるヒューマンストーリーではない何かを私たち
に気づかせてくれる。

追記:ユニセフのインタビューでの、ゲール・ドゥエイニーのコメント。

――はじめてアメリカに着いたとき、あなたはどう感じましたか?

「今までの自分の暮らし方や文化を失ってしまうのではないか、と心配になった。確かに
アメリカに行ったら、まず始めにアメリカでのやり方を身に着ける必要がある。だけどア
メリカに行ってから、母国の文化はより大切なものになったんだ。僕はそれを大事にしよ
うと思った。だから南スーダンに戻った時、僕が持っている母国の文化に照らし合わせな
がら新しい事を身につけようと思ったんだ。それは僕にとってとても興味深く大切なこと
なんだ。それによって僕は僕のままでいられるからね。」

――あなたにとって母国の文化の重要性はアメリカに行ってから大きくなっていったので
すね。

「ああ。僕はそれを失いたくなかった。と同時にアメリカで経験することを怠りたくもな
かった。両方を僕の中でひとつにしたかったんだ。」

マスコミ市民 映画『淀川アジール』

「淀川アジール」

 田中幸夫監督の『淀川アジール』を観た。
 大阪の淀川で野宿生活をしている「さどヤン」を3年間追い続けたドキュメンタリーだ。
 さどヤンのところには、いろいろな人がたどり着く。最後のシーンでは、さどヤンが煙草をくゆらせながらこちらをちらっと見る。
 思わず「ケンカ売ってんな」と笑みがこぼれた。久しぶりに観た傑作だった。
 田中幸夫は、異性愛+健常者+日本国籍の男優位の社会に対する異議申し立てを描いてきた人だ。
社会派映画というジャンルになるのだろうが、彼はいつも、メインストリームから排除され、無視され、放置された人たちの存在を映像化してきた。
 在日のロック歌手「パク・ポ―」や、徘徊老人、性的少数者、そしてレジスタンスとしての「ニシナリ」と、その作品は報道であり、ニュース解説そのものだった。
 しかし、今回の『淀川アジール』は違う。
 この作品には、わかってくれ、知ってくださいというような、観客に対する忖度ともいえる上品さは微塵もない。
 日本の冷酷な社会制度と、それを死守する政治と、放置する無知なる者どもにケンカを売る、そういう映画だ。
 思えば、この映画の対極にあるのが、山田洋二監督の『男はつらいよ』(1969-95)だった。
 日本を代表する映画の筆頭に挙げられる『男はつらいよ』は、東京の葛飾柴又で、定住もせず、恋ばかりしている、テキヤの寅さんの人情物語だ。
 その寅さんが毎回必ず帰ってくるのが、妹さくらのいる柴又の家だ。映画に出てくる葛飾柴又の風景は見事で、色褪せることがない。
しかし、葛飾に厳然とあるのにこの映画からは排除されているものが二つある。在日朝鮮人と被差別部落だ。
 そもそもテキヤは、正規の就職が許されなかった在日の仕事でもあった。家も借りられないから各地を転々とし社会保障からも排除された在日の生活と寅さんの生活は同じなのだ。
 しかし、この映画で在日が出てきたのは、何かのワンシーンに在日の子どもが出てきたのと、最後の一作で、阪神淡路大震災後の長田でチマチョゴリを着た女性が踊るシーンだけだった。
 どうしてか。
 寅さんは、毎年お正月にみんなが観る国民的な映画であって、マジョリティがターゲットだ。興行的にも、楽しいもの、娯楽の要素をたっぷり入れなければならない。毎回寅さんがマドンナに恋をして振られるのも、結果がわかっていて安心して見られるからだ。
 そこに現実社会にある在日や部落なんかが出てきたら興ざめだというのは、配給する側でなくてもわかる。
 しかし、この映画を作る人たちの中にも、出演者にも、在日はいた。しかし、それはないことにしたのだ。観客はそんなことには気が付かないし、責められる心配もない。
 その同じ山田洋二監督が、後に『学校』という映画を作った。そこには在日のハルモニとか、識字学級に通う人たちとか、社会が障害になっている人たちが集められていた。お涙頂戴物語そのものだ。
 一方ではマイノリティを排除した娯楽映画を作っておいて、他方では申し訳なさそうに、俺はいい人なんだと言わんばりの良心全開映画を作る。うんざりした。
 それは養護学校と健常者の学校を分ける発想と同じだ。現実の人間社会の中には、喜びも哀しみも混在している。それを描き切るのが映画人ではないのか。
 『淀川アジール』は、問題提起のための社会派映画ではない。野宿者支援の問題を取り上げたというなら遅すぎる。
 私は、この映画は、田中監督と「さどヤン」が、いわば共犯として作り上げたのだと思っている。
 さどヤンは言う。「人間の仕事は生きることや」と。命には限りがある、金をあの世に持っては行けない、だから自分の人生は自分の価値観で作り上げていくのだと、この映画は高らかに歌い上げた。
 そして、生存のための闘いの中で、どちらが人間として優位なのかと、社会に向かってマウンティングしているのだ。
 見る側は完璧に敗北する。
 安全な場所から社会的構造的弱者を見て思いを馳せる映画ではない。元気で楽しい野宿者生活を見せて、社会的排除に無関心な人たちを安心させる映画でもない。
 観客も、国家も、権力者も、誰もさどヤンには勝てない。いわばさどヤンの完全勝利宣言の映画だ。
 完敗してしまって立ち上がれない観客に、さどヤンが流し目で言う。

 「人間は、食料や、生きていくには」と。

 台湾の侯孝賢監督の作品『悲情城市』(1989)のラストシーンも、どんなに惨い殺し合いがあっても、生き残った者が食事をすることで「生」は続くと伝えていた。
 さどヤンは、生きろと言ったのだ。
 さどヤンは、誰も犯すことのできない人間の聖域から、生きろと語っている。■

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