マスコミ市民 映画『淀川アジール』

「淀川アジール」

 田中幸夫監督の『淀川アジール』を観た。
 大阪の淀川で野宿生活をしている「さどヤン」を3年間追い続けたドキュメンタリーだ。
 さどヤンのところには、いろいろな人がたどり着く。最後のシーンでは、さどヤンが煙草をくゆらせながらこちらをちらっと見る。
 思わず「ケンカ売ってんな」と笑みがこぼれた。久しぶりに観た傑作だった。
 田中幸夫は、異性愛+健常者+日本国籍の男優位の社会に対する異議申し立てを描いてきた人だ。
社会派映画というジャンルになるのだろうが、彼はいつも、メインストリームから排除され、無視され、放置された人たちの存在を映像化してきた。
 在日のロック歌手「パク・ポ―」や、徘徊老人、性的少数者、そしてレジスタンスとしての「ニシナリ」と、その作品は報道であり、ニュース解説そのものだった。
 しかし、今回の『淀川アジール』は違う。
 この作品には、わかってくれ、知ってくださいというような、観客に対する忖度ともいえる上品さは微塵もない。
 日本の冷酷な社会制度と、それを死守する政治と、放置する無知なる者どもにケンカを売る、そういう映画だ。
 思えば、この映画の対極にあるのが、山田洋二監督の『男はつらいよ』(1969-95)だった。
 日本を代表する映画の筆頭に挙げられる『男はつらいよ』は、東京の葛飾柴又で、定住もせず、恋ばかりしている、テキヤの寅さんの人情物語だ。
 その寅さんが毎回必ず帰ってくるのが、妹さくらのいる柴又の家だ。映画に出てくる葛飾柴又の風景は見事で、色褪せることがない。
しかし、葛飾に厳然とあるのにこの映画からは排除されているものが二つある。在日朝鮮人と被差別部落だ。
 そもそもテキヤは、正規の就職が許されなかった在日の仕事でもあった。家も借りられないから各地を転々とし社会保障からも排除された在日の生活と寅さんの生活は同じなのだ。
 しかし、この映画で在日が出てきたのは、何かのワンシーンに在日の子どもが出てきたのと、最後の一作で、阪神淡路大震災後の長田でチマチョゴリを着た女性が踊るシーンだけだった。
 どうしてか。
 寅さんは、毎年お正月にみんなが観る国民的な映画であって、マジョリティがターゲットだ。興行的にも、楽しいもの、娯楽の要素をたっぷり入れなければならない。毎回寅さんがマドンナに恋をして振られるのも、結果がわかっていて安心して見られるからだ。
 そこに現実社会にある在日や部落なんかが出てきたら興ざめだというのは、配給する側でなくてもわかる。
 しかし、この映画を作る人たちの中にも、出演者にも、在日はいた。しかし、それはないことにしたのだ。観客はそんなことには気が付かないし、責められる心配もない。
 その同じ山田洋二監督が、後に『学校』という映画を作った。そこには在日のハルモニとか、識字学級に通う人たちとか、社会が障害になっている人たちが集められていた。お涙頂戴物語そのものだ。
 一方ではマイノリティを排除した娯楽映画を作っておいて、他方では申し訳なさそうに、俺はいい人なんだと言わんばりの良心全開映画を作る。うんざりした。
 それは養護学校と健常者の学校を分ける発想と同じだ。現実の人間社会の中には、喜びも哀しみも混在している。それを描き切るのが映画人ではないのか。
 『淀川アジール』は、問題提起のための社会派映画ではない。野宿者支援の問題を取り上げたというなら遅すぎる。
 私は、この映画は、田中監督と「さどヤン」が、いわば共犯として作り上げたのだと思っている。
 さどヤンは言う。「人間の仕事は生きることや」と。命には限りがある、金をあの世に持っては行けない、だから自分の人生は自分の価値観で作り上げていくのだと、この映画は高らかに歌い上げた。
 そして、生存のための闘いの中で、どちらが人間として優位なのかと、社会に向かってマウンティングしているのだ。
 見る側は完璧に敗北する。
 安全な場所から社会的構造的弱者を見て思いを馳せる映画ではない。元気で楽しい野宿者生活を見せて、社会的排除に無関心な人たちを安心させる映画でもない。
 観客も、国家も、権力者も、誰もさどヤンには勝てない。いわばさどヤンの完全勝利宣言の映画だ。
 完敗してしまって立ち上がれない観客に、さどヤンが流し目で言う。

 「人間は、食料や、生きていくには」と。

 台湾の侯孝賢監督の作品『悲情城市』(1989)のラストシーンも、どんなに惨い殺し合いがあっても、生き残った者が食事をすることで「生」は続くと伝えていた。
 さどヤンは、生きろと言ったのだ。
 さどヤンは、誰も犯すことのできない人間の聖域から、生きろと語っている。■

韓流エンタメでカンパ〜イ 韓ドラ『イカゲーム』

「イカゲーム」
-誰に殺されるのか、なぜ殺されるのか-

 韓国エンタメのレベルが高いのは、多くの困難がこの小さな国に集中したことで、多様
なエピソードに事欠かないからだ。
 日本による植民地支配からの解放後も、朝鮮戦争と国家の分断、国策移民、軍事独裁政
権による圧政と民主化、通貨危機とIMFによる経済破壊、急激な新自由主義、さらにはSA
RS、MARS、コロナといった感染症までが、わずか70年ほどの間にこの国を襲った。
 こうした困難が生み出す多彩なエピソードが詰まったコンテンツが世界規模の配信サー
ビスに乗れば、おのずと世界の人々の心をとらえることになる。
 映画『パラサイト』は、絶望的なほど越えがたい社会階層の壁を見せつけた。そして
『イカゲーム』は、新自由主義とはいったい何か、いまの私たちの苦しさはどこから来る
のかを、言葉を超えて見事に描き切っている。
 物語では、借金を背負った人たちが、賞金に誘われて闇ゲームの会場にやってくる。し
かし、そこで行われているのは、敗者がその場で射殺される命がけのゲームだった。
 軽い気持ちで参加した者たちはパニックに陥るが、既に「だるまさんがころんだ」のゲ
ームが始まっており、少しでも動いた者は次々に射殺されていく。
 最後までゲームに勝って生き残れば、参加者数×1億ウォン(約1千万円)が勝者の手
に渡される。その額は456億ウォン。
 ゲームは至って簡単で、「だるまさんがころんだ」「型抜き」「綱引き」「ビー玉」
「飛び石」といった、世界中の誰もが子どもの時に遊んだことがあるものばかり。最後だ
けが、韓国の子どもの遊び「イカゲーム」だ。
 こんなことで殺されるのか、いったい誰が自分たちを殺すのか、まったく見えないまま
ゲームは進む。そしてこのゲームにはもう一つのルールがあり、参加者の過半数がゲーム
を止めようと言えば生き残りは全員帰される。
 彼らは恐怖から一度ゲームを中止し、それぞれの日常に戻るのだが、戻ってみればその
日常こそが「地獄」そのもので、そこから抜け出すために、結局また自ら望んで「賞金
ゲーム」に参加してしまう。
 実はこのゲームは金持ちの娯楽として仕掛けられていて、富裕層は参加者には見えない
ところから殺し合いを見て楽しんでいた。
 しかし、闘っている者はその構造を知らない。ただ借金から逃れるために、命を懸けて
他者を追い落としていく。すさまじい殺戮の連鎖に、直視できないという人も少なくない。
だが、リアルな社会には、まさに、直視できないほど過酷な死があふれている。
 かつて、「働けば自由になる」と標語が掲げられたアウシュヴィッツに送られたユダヤ
人たちは、誰に殺されるのか、なぜ殺されるのかも知ることなく事切れていった。温暖化
で家も故郷も沈んでいく島国の人々も、米国が武器の在庫処分のために始めた戦争で殺さ
れた人々も、渋谷区幡ヶ谷のバス停で朝を待って野宿していた女性も、殺される側は、い
つも、何もわからないままなのだ。
 たとえ民主主義のルールである「投票」があっても、人々は、目の前の辛さのために、
「生き残りゲーム」にその身を投じる。
 地獄とは、まさに、私たちの社会そのものなのだ。そしてそれは、まごうことなき新自
由主義の姿だ。
 「イカゲーム」は、自らの手で民主化を勝ちとった韓国社会だからこそ生み出せた、抵
抗と告発のエンタメだと思う。■

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『イカゲーム』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=gSR7gMOGw6I

韓流エンタメでカンパ〜イ 華流ドラマ『花と将軍』

華流ドラマ『花と将軍』(2017年)

 日本人がアメ車に憧れを抱いていた時代、エンタメといえばハリウッドだった。ジャパ
ン・アズ・ナンバーワンといわれた時代には『おしん』が世界中で人気を集めた。
 そして今、一歩海外に出ればどこでもファーウェイとサムスンに囲まれる。そこに華
流・韓流エンタメが流れ込んだ。
 中でも、悲喜劇が集約された歴史を持つ韓国は、世界に通じる「あるある」を提供しや
すい。なにしろ、植民地支配、内戦、民族分断、冷戦、兵役、難民、IMF(国家経済の破
綻)といった世界共通の課題に、儒教をベ―スにした女の悲劇が加わるのだ。
 以前、トルコの友人宅で家族みんなが韓ドラで盛り上がる姿を見たときは「え、ここで
も?」と心底驚いた。女性を取り巻く不平等な環境は、日本も他の国も、例えばタリバン
のアフガニスタンでも変わらないからだ。
 そんな韓流に比べて華流(中国語文化圏の作品)は少し遅れをとっているように錯覚す
る人もいるが、華流エンタメの経済圏は中国本土、香港、台湾、シンガポールと大きい。
それだけで十分採算が合うのだ。 その上、中国経済をバックに資本力で世界的に有能な人材を集めて作品作りをしているのだから、どんどん面白くなるのは当たり前。
 その一例が『花と将軍』(2017年)だ。
 放送直後から人気が急上昇し、動画配信サイト「Youku」だけの独占配信で、あっとい
う間に総視聴回数60億回を超えた。日本でもすでにいくつかの局で放送されている。
 内容はあの漫画『ベルサイユのばら』の中国歴史版とでも言おうか。物語は強い女性将
軍と軟弱で遊び人の皇族との政略結婚からスタートするが、二人は徐々にお互いを理解し、
手を取り合って難題を解決していく。利発な妻が夫の良い部分を見抜いて活用するという、
夫育成痛快活劇でもある。
 で、映像美が素晴らしいのだが、なんと衣装はワダ・エミで、美術が小澤秀高、音楽が
岩代太郎と、日本の世界的職人が参画しているのだ。画面に映る衣装の美しさは、ほれぼ
れするほどだった。
 華流ドラマの難点は1作品が長いこと。50話以上あるのはざらで、中には200話とか300
話のものさえある。で、選ぶのに困ったらまずは「宮廷もの」。これは失敗が少ない。
 華流エンタメに慣れない人は、同じ原作から複数の国で制作されているものが見やすい
かもしれない。
 例えば『麗〈レイ〉~花萌ゆる8人の皇子たち~』(韓国2016年)/『宮廷女官 若
曦』(中国2011年)、『彼女はキレイだった』(韓国2015年)(中国2017年)(日本20
21年)などだ。
 『彼女はキレイだった』は、ある男性が、子どものころ綺麗であこがれていた同級生を
探して会いに行くが、変わり果てた彼女に気づかず、他の女性を彼女と思い込んだところ
からスタートする。しかし、その後その同級生と同じ職場になり、気が付けばその人に再
び恋をしていたというラブコメ。
 要は、外見ではなく、その人柄・内面が好きだったということ。
 『花と将軍』は、男は年を重ねるごとに渋く、女はいつまでも若々しくという不愉快な
メッセージに抗うかのような「カッコイイ女」が主役だ。その爽快さは、内面の美しさ
に「女らしさ」「男らしさ」などないと言っているかのようだ。■

韓流エンタメでカンパ〜イ 韓ドラ『愛の不時着』

『愛の不時着』

 空前の大ブームを巻き起こした『愛の不時着』。
 韓国の財閥令嬢で実業家のユン・セリ(ソン・イェジン)がパラグライダーで飛んでい
て突風に巻き込まれ、軍事境界線(38度線)を越えた北に不時着。それを助けたのが、北
朝鮮高官の息子で人民軍将校のリ・ジョンヒョク(ヒョンビン)だった…。
 もう、この設定だけで見る気が失せた。
 2020年までの韓流ドラマの主流は、力ある者との恋だった。朝鮮王朝の王様や世子(王
子)、財閥トップや大統領とのシンデレラ物語だ。で、ネタが出尽くして北朝鮮にまで行
ったというのが見え見え。
 しかし、周囲の反応は私とは全く逆で、みんなワガママ娘に献身的に尽くすジョンヒョ
クの虜になり、全16話を寝ないで通しで見たという輩が続出した。
 『愛の不時着』のストーリーは、1999年に伝説的な人気を誇った『猟奇的な彼女』にも
通じるもので、男がせっせと女に尽くすというパターンを見事に踏襲している。しかもそ
の男がハンサムで礼儀正しくてとくれば、そりゃハマるだろう。
 で、一番驚いた感想は、財閥令嬢の贅沢な消費に一喜一憂する村の人たちが「人間らし
く描かれていた」というもの。その言葉の裏にある差別性に気が付いていない。
 物語の前半では、セリが身を隠している北朝鮮の農村での日常や闇市場など、人々の生
活や人間関係が描かれ、後半になると、ジョンヒョクの率いる部隊が任務のため韓国に入
り、そしてセリとの韓国での生活が始まる。
そこに、利権問題や様々な事件が絡み合うのだ。もちろん韓ドラの定番である、かつてど
こかで出会っていたという「運命の人」設定もきちんと織り込まれている。
 前回の『太陽の末裔』が朴槿恵政権の国策映画なら、これは西側礼賛映画と言える。
 朝鮮半島は、第二次世界大戦の悲劇が今なお終わっていない場所だ。その後の朝鮮戦争
を経て、今も民族の悲劇は続いている。離散家族の問題だけではない。在日も、軍事独裁
政権によるスパイでっち上げ事件などで、何人もの人が殺されている。
 北朝鮮を描く映画は、既にジャンルとして確立していると言ってもいいだろう。しかし、
このドラマのむごいところは、西側の眼差しで北の貧しさを懐かしみ、経済格差を見せび
らかしてエンターテインメントにしている点だ。
 北の貧しさは米国による経済制裁を抜きにしては語れないし、南北分断は日本による植
民地支配がなければあり得なかった。そこから始まった悲劇は今も続いている。
 90年代末の飢餓のとき、自分の赤子のお腹に銅線を詰め込んで中国に運ぼうとした若い
お母さんがいた。官憲に拘束され、子どもを降ろせと言われてもずっと泣き続け、やっと
のこと子どもを机に置いたとき、血みどろの赤子の腹から銅線の束が出てきて、取調室の
誰もが言葉を失った。その沈黙の意味を伝えられるだけの力量が演劇には欲しい。
 生きるための子殺しに闇物資の運搬。普通なら死刑だが、彼女はそのまま釈放されたと
いう。
 北朝鮮を消費材としてドラマ作りをする人たちは、あのときの北朝鮮の人々の哀しみを、
一度でも理解しようとしたことがあっただろうか。エンタメで北の高官の息子との恋だな
んて、勘弁してほしい。■

予告編
https://www.youtube.com/watch?v=zPe5AdGCszc

名シーン
https://www.youtube.com/watch?v=j12lGhi8-_U
https://www.youtube.com/watch?v=VE5QVF_P4TY

予告編
https://www.youtube.com/watch?v=zPe5AdGCszc
名シーン
https://www.youtube.com/watch?v=j12lGhi8-_U
https://www.youtube.com/watch?v=VE5QVF_P4TY

韓流エンタメ沼『モレシゲ』(砂時計)と映画『タクシードライバー』

韓国ドラマの金字塔『モレシゲ(砂時計)』と『タクシー運転手』

 韓ドラを語るとき、まず押さえておきたいドラマは、なんといっても『モレシゲ(砂時
計)』(1995年)だ。
 長い間タブーとされてきた、国家による民衆虐殺事件である光州事件(1980年)を初め
て描いた作品で、SBSでの放送開始直後から一大ブームを巻き起こし、60%を超える視聴
率をはじき出した。まさに、韓ドラの不朽の名作と言っていい。
 1979年、長年軍事独裁を続けてきた朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が暗殺されると、
クーデターで実権を握った全斗煥(チョン・ドゥファン)が軍隊を動員して、民主化を求
める人々を殺戮した。在韓米軍のジョン・A・ウィッカム司令官(当時)の承認を得た
上でのことだ。
 物語は、そんな1980年前後の韓国を舞台に、三人の若者の生き様を追っていく。
 無二の親友である不良少年テスと優等生のウソク。社会の矛盾の中で、テスはヤクザ、
ウソクは検察官という異なる道を歩んでいくが、最後は死刑囚と執行官という立場で二人
の人生が交差する。彼らの生き辛さは、当時の韓国人が、生きていくために権力側につく
か抗って生きるかの二者択一を強いられていた結果でもある。
 このドラマでの光州虐殺の描き方は、民主化政権でなければできなかったもので、KCIA
(韓国中央情報部、現国家安全企画部)の腐敗ぶりも見事にあぶり出されていた。
 テスとウソクの両方から愛されていたへリンは、学生運動に挫折し、父の職業を継いだ。
そのへリンをストイックに守り続けたジェヒの存在は、その後の韓ドラにおける、複数の
男に愛されるヒロインというスタイルを決定付けたように思う。
 パク・テス役 チェ・ミンス カン・ウソク役 パク・サンウォン
 ユン・へリン役 コ・ヒョンジュン ペク・ジェヒ役 イ・ジョンジェ
 最終話はまさに圧巻で、テスとウソクの会話やへリンの後ろ姿が今も心に残っている。
題名の「砂時計」とは何を意味していたのか、24話を見て韓国現代史に触れてもらいたい。
 

 この光州事件を正面から描いたのが、ソン・ガンホ主演の映画『タクシー運転手 約
束は海を越えて』だ。
 ソウルのタクシー運転手キムさんは、光州事件を取材に来たドイツ人記者ユルゲン・ヒ
ンツペーターを乗せてソウルと光州を往復する。その実話を元にした作品だ。当時の韓国
では、光州に入って記者に取材させるなど、捕まればそのまま死刑に直結するような行動
だったのだから驚きだ。
 この映画で描かれた様々な場面の中でも、光州のタクシーやバスの運転手たちが、市民
を軍隊から守るために、自らの生活の糧である車やバスを弾除けとして道路に並べたシー
ンは胸を打つ。そういう事実があったことは当時から耳にはしていたが、再現とはいえ映
像で見ると、何とも言えないものがある。

光州市民は、貧しい中、そうやって街ぐるみで抵抗した。
 後日、ドイツ人記者は自分を乗せてくれた運転手を探したが、見つからなかったという。
しかし、この映画の公開後、運転手の息子が名乗り出たことで、その存在が明らかになっ
た。
 運転手のキムさんは、高級ホテルの、主に外国人専用のドライバーだった。英語が堪能
だったという。キムさんは、光州蜂起の取材からほどなくして、1984年に持病で亡くなっ
ていた。
 韓ドラの醍醐味の一つに、民衆からのプロテストの眼差しがある。権力の描き方へのタ
ブーがないのだ。日本の大河ドラマの多くが、信長、秀吉、家康をはじめとした、権力者の
物語であることの対極にあると言ってもいいだろう。


 余談だが、いまや世界を席巻しているK-popの代表BTSの初期の作品「Ma city」は、メ
ンバーがそれぞれの故郷への想いを歌ったラップである。光州出身のJ-hopeのパートには、
「俺は 全羅南道光州(生まれ)」「KIAに乗ってエンジン全開」「みんな押せ 062-518」
というくだりがある。
 KIAは韓国の自動車メーカーで、062は光州の地域番号、518は5月18日光州蜂起のことだ。
 KIAに乗ってエンジン全開とは、市民の盾となった光州のタクシー運転手たちを彷彿と
させる。BTSが、黒人男性ジョージ・フロイドさんの暴行死事件で日本でも知られるよう
になったブラック・ライブズ・マター(Black Lives Matter/黒人の命をないがしろにす
るな)運動に約1億円を寄付したのも、そのような韓国現代史が彼らの背中にあるからな
のだ。■

https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/shinsugok/0002/

韓流エンタメでカンパ〜イ『太陽の末裔』(全24話)

 ソン・ジュンギ主演の『太陽の末裔』(2016年)は、韓国内で最高視聴率41.6%を記録
し、この年の賞を総ざらえした。すでに世界32カ国以上で放送されている伝説のラブス
トーリーである。
 彼は『ときめき成均館スキャンダル』(2010年)から人気が出始め、役柄は甘ったるい
学生だったり可愛い世継ぎ役だったりしたが、『太陽の末裔』では特殊部隊のエリート軍人
ユ・シジン役をこなした。
 甘いマスクの童顔に軍服、しかもおちゃめで、好きな女性には積極的にアタックするが、
任務が下るとデートの途中でも行き先も告げずに消える。時にはヘリコプターが彼を迎え
に来ることもある。いったいこの男、何者?。

 口説かれたのは強気な医師カン・モヨン(ソン・ヘギョ)で、シジンらの携帯をひっ
たくった青年が事故で病院に運び込まれたのをきっかけにシジンと出会った。
 徐々に惹かれあう二人だが、謎が多く仕事優先のシジンとは無理と判断して別れる。し
かし、モヨンが医療団として派遣された紛争国で偶然二人は再会する。彼は治安維持部隊
の隊長として派遣されていた。
 自分の危険な仕事について、シジンは「兵士は命令で動く。たとえ私が善だと信じる信
念が誰かにとっては別の意味であっても、私は最善を尽くして与えられた任務を遂行する。
これまでに3人の戦友を作戦中に失った。彼らと私がこの仕事をする理由は、それは誰か
が必ずしなければならない仕事であり、それは私と私の家族、カン先生とカン先生の家族、
その家族の大切な人たち、その人たちが生きているこの地の自由と平和を守るためだと信
じているからだ」と語る。
 そしてモヨンに、「僕、やることはやる男です。僕のやることの中には、僕が死なない
ことも含まれてるんだ」と笑う。モヨンは、せめて「任務」が下りたことだけは教えてね
と、恋人の「仕事」を受け入れる。
 これって、「死」を背後に感じさせて視聴者を惹きつける、王道の軍人ラブストーリー
だ。大義のための自己犠牲の美しさ。
 紛争国の設定は明らかにISなどのイスラム圏を想定していたり、なにかと北朝鮮が絡む
という、ハリウッド映画の仮想敵がいつもソ連だったのと同じパターン。
 二人の初デートは映画。席についたモヨンが上映前に「明かりが消える直前が一番とき
めくの」と話すと、シジンは「私は、人生で今が一番ときめいている」「明かりが消える
直前に美しい人と一緒にいるから」とささやく。
 韓ドラって、こういう歯の浮くような会話が途切れることなく続くのだ。沈黙は金とか
質実剛健なんて言葉はどこにもない。チャラく、愛くるしく、マメで優しい。
 人の命を預かる医者が人を殺すことを任務とする軍人に恋をし、正義のための任務遂行
を美とするドラマが世界的に支持されるって、どんだけ危ないか。
 軍人が国家に忠誠を尽くすということは、人を殺すときも自分の頭では考えないという
ことなのに。
 でもね、ほどけた恋人の髪を結びながら「自分にできることをしてもらうのが恋愛で
す」という軍人男に、「憲法」しかかかげられない新社会のおっちゃんは勝てるだろうか
…。無理だろうなぁ。
 こうやって、戦争賛美は続くのだ。■

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<ml 用)

「太陽の末裔」公式HP
https://kandera.jp/sp/taiyou/
「太陽の末裔」PR動画
https://www.youtube.com/watch?v=_LOFrAtazDY
第一話 無料公開
https://www.youtube.com/watch?v=AEtfsGNvnIo

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