-再生の物語として-
フィリップ・ファラルドー監督の『グッド・ライ いちばん優しい嘘』を見た。
スーダン内戦(1983)で故郷を追われ、両親と死別したり一家離散した10万人以上の子
どもたちが、その10年後、アメリカとスーダンが協力した計画により、全米各地に移住し
た。この映画は、「ロストボーイ」と呼ばれた彼らの物語だ。
映画評では、ヒューマンストーリーだとか、アメリカの偽善であるとか、その見方は様々
だった。しかし、共通して指摘されているのは、難民の目線で見たときの、いわゆる先進
国といわれる国々の矛盾である。
しかし、この映画は、そんな定番のメッセージを送るために作られたのだろうか。少
なくとも私の目には、これは「再生の物語」だと映った。
主な登場人物は、難民一家の
・テオ(兄)
・アビタル(妹)
・マメール(弟)
別の難民一家の
・ジェレマイア(兄)
・ポール(弟)
の兄弟姉妹たち。
この物語では、スーダンのある村で暮らす家族が襲撃を受けて、両親は殺され、残され
た子どもたちも避難する中で一人ひとり事切れていく。長男テオは、弟妹を連れて安全だ
と言われていたエチオピアにたどり着こうとするが、そのエチオピアから戻ってきた難民
たちからエチオピアも安全ではないことを知り、その中にいた兄弟(ジェレマイアとポー
ル)と一緒に、行き先を変えてケニアへと向かう。
しかし、その道程でテオも捕らえられてしまい、残された妹のアビタルと弟のマメール
が、ジェレマイアとポールとともに、命からがらケニアの難民キャンプにたどり着く。12
56キロの道のりだった。
このとき、過酷な経験を共にしてきた彼らは、すでに強いつながりを持つ「家族」とな
っていた。
その後、彼らはキャンプの中から選抜されてアメリカ移住のキップを手にするが、アビ
タルだけは異なる地域に引き取られることになり、彼らはまた離散する。
たどり着いた米国での生活は、生まれて初めて見るものばかりで、電話やベッドの使い
方もわからず、彼らは周囲を苛つかせながらなんとか異文化を身に着けていく。
出演していたのは難民当事者であり、だから彼らの演技には、まさに当事者ならではの
戸惑いが映し出されていた。
例えば、スーパーに職を得たジェレマイアは、まだ十分食べられるものを廃棄するルー
ルに戸惑い、同時に、ゴミ箱(廃棄BOX)をあさるホームレスの姿を目の当たりにする。
そして、「与えないのは罪です」と、店の責任者に逆らって廃棄食材を野宿者の女性に与
える。
アメリカ社会(商業主義)のひずみを映し出していると評されるシーンだが、私はそこ
にスーダンの人々の精神世界を見た。
ジェレマイアを演じたゲール・ドゥエイニーは、世界的なトップモデルでもある。19
78年、スーダン南部(現在の南スーダン)で生まれ、内戦で一家離散し、強制的に少年兵
として徴兵された経験を持つ。14歳でエチオピアの難民キャンプへと逃れ、その後、第三
国定住政策で米国に移住。2010年、祖国南スーダンに戻り、ようやく母親や兄弟と再会
を果たした。
米国に着いた途端離れ離れになったアビタルとの再会がかなったときのジェレマイアた
ちの喜びようの裏に、スーダン内戦によって過酷な時間を共に過ごしてきた彼らの姿が垣
間見える。
その後、物語では、ケニアの難民キャンプでマメールやアビタルを探している男がいる
という知らせを聞いて、兄のテオではないかと思い、代表してマメールがケニアに向かう。
兄との再会は喜びだったが、結局兄に出国許可は下りなかった。そこでパスポートの偽
装をし、自身のパスポートを兄のものとして兄テオを米国に向けて出国させ、マメールは
難民キャンプに残って医療活動を続けるというところで終わる。
タイトルはまさに、「嘘」は誰のためにつくのかという問いを私たちに投げかけるのだ
が、一方で、難民キャンプに残ったマメールの姿は、スーダン再生の最初の一歩のようだ
った。
離散した家族が、新しい家族を得、離合集散を繰り返しながら、難民キャンプに戻る。
マメールはここで新しい家族・地域を作るのだろう。それこそが南スーダンの文化だから
だ。家族や地域のために生きる文化。
映し出される子どもたちには生きる力が、ある。南スーダンの人々の、逆境に向き合う
んだという、人間としての強さがみなぎっている。
2011年に南スーダンが建国されたが、今も課題が残っている。アフリカの傷は深い。
帝国による植民地化と殺戮の歴史は、今でもアルコール依存症、レイプ、難民施設での
自殺者の増加など、様々な困難をこの地域に残している。スーダンからの難民・避難民は
2019年時点で7千万人を超えている。第三国が受け入れた再定住者は7%にも満たない。
その歴史を踏まえてこの映画見ると、単なるヒューマンストーリーではない何かを私たち
に気づかせてくれる。
追記:ユニセフのインタビューでの、ゲール・ドゥエイニーのコメント。
――はじめてアメリカに着いたとき、あなたはどう感じましたか?
「今までの自分の暮らし方や文化を失ってしまうのではないか、と心配になった。確かに
アメリカに行ったら、まず始めにアメリカでのやり方を身に着ける必要がある。だけどア
メリカに行ってから、母国の文化はより大切なものになったんだ。僕はそれを大事にしよ
うと思った。だから南スーダンに戻った時、僕が持っている母国の文化に照らし合わせな
がら新しい事を身につけようと思ったんだ。それは僕にとってとても興味深く大切なこと
なんだ。それによって僕は僕のままでいられるからね。」
――あなたにとって母国の文化の重要性はアメリカに行ってから大きくなっていったので
すね。
「ああ。僕はそれを失いたくなかった。と同時にアメリカで経験することを怠りたくもな
かった。両方を僕の中でひとつにしたかったんだ。」