『愛の不時着』
空前の大ブームを巻き起こした『愛の不時着』。
韓国の財閥令嬢で実業家のユン・セリ(ソン・イェジン)がパラグライダーで飛んでい
て突風に巻き込まれ、軍事境界線(38度線)を越えた北に不時着。それを助けたのが、北
朝鮮高官の息子で人民軍将校のリ・ジョンヒョク(ヒョンビン)だった…。
もう、この設定だけで見る気が失せた。
2020年までの韓流ドラマの主流は、力ある者との恋だった。朝鮮王朝の王様や世子(王
子)、財閥トップや大統領とのシンデレラ物語だ。で、ネタが出尽くして北朝鮮にまで行
ったというのが見え見え。
しかし、周囲の反応は私とは全く逆で、みんなワガママ娘に献身的に尽くすジョンヒョ
クの虜になり、全16話を寝ないで通しで見たという輩が続出した。
『愛の不時着』のストーリーは、1999年に伝説的な人気を誇った『猟奇的な彼女』にも
通じるもので、男がせっせと女に尽くすというパターンを見事に踏襲している。しかもそ
の男がハンサムで礼儀正しくてとくれば、そりゃハマるだろう。
で、一番驚いた感想は、財閥令嬢の贅沢な消費に一喜一憂する村の人たちが「人間らし
く描かれていた」というもの。その言葉の裏にある差別性に気が付いていない。
物語の前半では、セリが身を隠している北朝鮮の農村での日常や闇市場など、人々の生
活や人間関係が描かれ、後半になると、ジョンヒョクの率いる部隊が任務のため韓国に入
り、そしてセリとの韓国での生活が始まる。
そこに、利権問題や様々な事件が絡み合うのだ。もちろん韓ドラの定番である、かつてど
こかで出会っていたという「運命の人」設定もきちんと織り込まれている。
前回の『太陽の末裔』が朴槿恵政権の国策映画なら、これは西側礼賛映画と言える。
朝鮮半島は、第二次世界大戦の悲劇が今なお終わっていない場所だ。その後の朝鮮戦争
を経て、今も民族の悲劇は続いている。離散家族の問題だけではない。在日も、軍事独裁
政権によるスパイでっち上げ事件などで、何人もの人が殺されている。
北朝鮮を描く映画は、既にジャンルとして確立していると言ってもいいだろう。しかし、
このドラマのむごいところは、西側の眼差しで北の貧しさを懐かしみ、経済格差を見せび
らかしてエンターテインメントにしている点だ。
北の貧しさは米国による経済制裁を抜きにしては語れないし、南北分断は日本による植
民地支配がなければあり得なかった。そこから始まった悲劇は今も続いている。
90年代末の飢餓のとき、自分の赤子のお腹に銅線を詰め込んで中国に運ぼうとした若い
お母さんがいた。官憲に拘束され、子どもを降ろせと言われてもずっと泣き続け、やっと
のこと子どもを机に置いたとき、血みどろの赤子の腹から銅線の束が出てきて、取調室の
誰もが言葉を失った。その沈黙の意味を伝えられるだけの力量が演劇には欲しい。
生きるための子殺しに闇物資の運搬。普通なら死刑だが、彼女はそのまま釈放されたと
いう。
北朝鮮を消費材としてドラマ作りをする人たちは、あのときの北朝鮮の人々の哀しみを、
一度でも理解しようとしたことがあっただろうか。エンタメで北の高官の息子との恋だな
んて、勘弁してほしい。■
予告編
https://www.youtube.com/watch?v=zPe5AdGCszc
名シーン
https://www.youtube.com/watch?v=j12lGhi8-_U
https://www.youtube.com/watch?v=VE5QVF_P4TY