韓流エンタメ 週刊新社会で連載スタート 映画『金子文子と朴烈』

長い間、金子文子はなんであんなチャラい男(朴烈)を好きになったんだろう、と疑問に思っていた。
 映画『金子文子と朴烈』(2017)は、この二人の実話を映画化したものだ。
 文子と朴烈が生きた時代は、朝鮮半島が日本の植民地として完成した1920年代。二人は東京の、社会主義者が集まる店で出会った。このとき文子21歳、朴烈22歳。
 先に口説いたのは文子の方で、その口説き文句は「一緒に仕事がしたい」だった。文子は、会う前から、朴烈が投稿した『犬ころ』という詩に心を射抜かれていたのだ。
 『私は犬ころである/空を見てほえる/月を見てほえる/しがない私は犬ころである/位の高い両班の股から/熱いものがこぼれ落ちて/私の体を濡らせば/私は彼の足に/勢いよく熱い小便を垂れる/私は犬ころである』(朴烈1922)
 二人は、関東大震災(1923)時の朝鮮人虐殺から人々の目をそらしたい国家権力よって、『大逆罪』(天皇・皇族に危害を加え、または加えようとした罪。量刑は死刑)に仕立て上げられた。朴烈が爆弾で天皇を狙い、文子もそれを知っていたというのだ。
 しかし、朝鮮人虐殺が世界に知られつつある中、大逆罪で死刑など執行したら、朝鮮半島の独立運動に火を付けかねない。それを恐れた権力は、天皇の慈悲による「恩赦」という形で無期懲役に減刑することで、二人を葬り去ろうとした。
 映画の中で再現された二人の裁判闘争は、徹底的に権力をコケにした見事なものだった。
 まずはチョゴリで出廷することから始め、裁判官には朝鮮語で挨拶し、房では断食。どうせ死刑になるのだからと「朝鮮戸籍」に婚姻届を出させ、その上で、直球の天皇批判を展開した。
 文子が取り調べで「朴烈を教育したのは私だ」と言い放つ姿は痛快だった。「女の後ろには男がいる」という定番のステレオタイプをひっくり返しただけでなく、天皇を頂点とする男権支配構造自体にも刃を突き付けたのだ。
 文子は、無戸籍で生まれ、その存在がはじめから否定されていた。親に棄てられ、教育も受けられず、果ては朝鮮へ養女という名の女中奉公(奴隷)に送られた。その後も、地獄のような時間を生き延びてきたのだ。
 獄中で書かれた文子の唯一の書『何が私をかうさせたか』の中に、朝鮮人の下男が、一枚しかない服を洗って乾かしたいから一日だけ休みをくれと日本人の主人に願ったところ、主人たちは嘲笑し、休みは与えなかったという記述がある。恐らく文子は、そのおぞましい笑いの裏にある差別の構造を全身で感じ取ったのだろう。
 朴烈は、獄中闘争を経て敗戦後に釈放され、その後は民団の初代団長になるという、カリスマ的な空間を渡り歩いた。彼の背中にはいつも「祖国」「民族」といった大義が枕詞のように並び、最後まで時代の空気に乗り続けた。
 一方、文子は1926年に宇都宮刑務所で遺体となって発見された。遺書はなかったが、自殺なら、天皇の名の下で殺されることを決して許さず、私の身体も私の心も私のものだという信念を貫いたのだろう。
 この映画は、自ら退路を断って「天皇」と向き合い、決して自分だけ助かろうとはしなかった文子を、見事に描き切った。
 そんなすさまじい女性を相手にできたのは、考えなしのバカ野郎だけだったのかもしれない。

公式サイト
http://www.fumiko-yeol.com/

予告編
https://www.youtube.com/watch?v=8ds6lO6GNc8&t=29s

 

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