私が、ドイツを思いっきり感じたいと思ったきっかけは、ユン・イサン氏の事件を知ったときでした。
彼は、1967年6月17日、当時の西ドイツのベルリンで、軍事独裁政権だった韓国のKCIAによって誘拐されソウルに連れ戻され、拷問の末、スパイ容疑で死刑を宣告受けました。
カラヤンを始めドイツの音楽関係者が抗議の意思を表明し、また、西ドイツ政府も国交断絶までかかげながら「客人になにをする」と、ユン・イサン氏の命を守るために軍事独裁政権下の韓国政府に徹底的に抗議をしました。主権侵害に対する国家としてのたたずまいが、そこにはあります。
約200人の芸術家が署名したその用紙は、正義の叫びでした。
1967年12月13日に無期懲役を宣告され、再審で減刑を受け、1969年2月25日大統領特赦で釈放され再びドイツへ。
ユン・イサン氏と会ったのは、東京でした。もう、30年くらい前です。支援者たちの伊豆の温泉旅行に同行しました。おおらかな人で、ああ、この人柄だから、苦しい中を生きのびられたのだなぁと。同時に、先輩世代は、生と死の狭間で、それでもなお声をあげ続けたのだなぁと思いました。1995年11月3日ベルリンの病院で旅立ちました。
下の写真は、最近見たものです。韓国でユン・イサン氏を追悼するコンサートに、ドイツの楽団が参加するという記事でした。
当時、ユンさんとの同席をセッティングしてくださったのは、在日の料理家の先輩たちでした。食べて、笑って、怒って、泣いて、議論をして、そして未来を語り合いました。「パンモゴッソ?(ごはんたべた?)」は、朝鮮半島の日常的な挨拶です。たべることは、生きること。生き続けることが戦争屋に勝つことなんだと。