チョコだけ食べにベルギーへ

ドイツにいると、あちこちでデモやストライキ、カウンター行動などが有り、周辺諸国からもお誘いがかかる。

ベルギーの関係者からも、何度も、声がかかったが、頑なに断り、ただ、ただ、「チョコを食べに行く」と決めていた。ところが、気楽に立ち寄ったレストランの料理が美味しくて、びっくり。レベルが違う。ベルギーの(フランス)料理は定評があるという。もっとはやく知りたかった。で、どこで食べても頬が落ちるほど美味い。で、食べながら耳をすませばフランス語。うわーっ。シュルブプレ、とか、メルシーボークしか浮かばない。。。

我が家からベルギーまでは、車で1時間半くらいかなぁ。

お店の品揃は、感動モノでした。

写真左には、喫茶コーナーがあり、お茶しました。(^^)

チヂミでおもてなし。

ドイツでは、パーティと言えば、一品持ち寄り。そういえば、アメリカでもポットラックと言って、みんなそれぞれにお国自慢の料理を一品持ち寄って、大宴会していたなぁ。あああ、懐かしい~思い出したぁ。(笑)

仕事に忙殺されて、自分がわからなくなりそうだったので、米国(カリフォルニア州立サンディエゴ校)の客員研究員になったのは、2006年だった。ポストコロニアルを学びに行ったが、大学も面白かったが、メキシコ国境での移民排斥に対する抵抗運動のほうが、はるかに、学ぶことが多かったような気がする。

サンディエゴの高校生は、期末試験が終わると一斉に移民排斥反対のデモにでていた。彼らは「いま、やらないといつやる?」「いま、友達が送還されようとしているんですよ」と。

世界の若者は闘っているなぁと思いながら、今日は、人参とヅッキーニーのチヂミ。

スーパーで、小麦粉らしきものを買って、日本から持ってきた片栗粉を入れ、水と卵で混ぜる。そこに、千切りにした人参とズッキーニーを混ぜて、ごま油で焼くだけ。量はこれも適当。(笑)多少分量に偏りがあっても、醤油とスがあれば、とにかく食べられるから大丈夫。

人参とズッキーニのチヂミ。

作曲家 ユン・イサンさんと

私が、ドイツを思いっきり感じたいと思ったきっかけは、ユン・イサン氏の事件を知ったときでした。

彼は、1967年6月17日、当時の西ドイツのベルリンで、軍事独裁政権だった韓国のKCIAによって誘拐されソウルに連れ戻され、拷問の末、スパイ容疑で死刑を宣告受けました。

カラヤンを始めドイツの音楽関係者が抗議の意思を表明し、また、西ドイツ政府も国交断絶までかかげながら「客人になにをする」と、ユン・イサン氏の命を守るために軍事独裁政権下の韓国政府に徹底的に抗議をしました。主権侵害に対する国家としてのたたずまいが、そこにはあります。

約200人の芸術家が署名したその用紙は、正義の叫びでした。

1967年12月13日に無期懲役を宣告され、再審で減刑を受け、1969年2月25日大統領特赦で釈放され再びドイツへ。

ユン・イサン氏と会ったのは、東京でした。もう、30年くらい前です。支援者たちの伊豆の温泉旅行に同行しました。おおらかな人で、ああ、この人柄だから、苦しい中を生きのびられたのだなぁと。同時に、先輩世代は、生と死の狭間で、それでもなお声をあげ続けたのだなぁと思いました。1995年11月3日ベルリンの病院で旅立ちました。

下の写真は、最近見たものです。韓国でユン・イサン氏を追悼するコンサートに、ドイツの楽団が参加するという記事でした。

ドイツの地方紙のトップに故ユン・イサン氏の記事が。

当時、ユンさんとの同席をセッティングしてくださったのは、在日の料理家の先輩たちでした。食べて、笑って、怒って、泣いて、議論をして、そして未来を語り合いました。「パンモゴッソ?(ごはんたべた?)」は、朝鮮半島の日常的な挨拶です。たべることは、生きること。生き続けることが戦争屋に勝つことなんだと。

ドイツで暮らす日本の人が、持ってきてくれた朝鮮料理の本

やっと。。。

長い冬眠生活でした。

思いが言葉にならないときがあります。写真は、私が借りている部屋の窓辺の風景です。家具はほとんどありませんが、花と緑で賑やかです。ベランダにはエゴマやシソもあります。

窓辺

お手軽便利なカクテキ

カクテキ (大根のキムチ)

日本にある、ほとんどの食材はドイツにもある。しかし日本人が好むものは、総じて高い。大根もその一つ。

キムチの中で一番かんたんなのが、大根のキムチ(カッテギ)

まず、大根を数日干す。一つ口サイズにカットして塩漬け、水が出てきます。2日くらいたってしなびたなと思ったら、洗って(塩加減の調整)、重石を置いて2日ほどして水気がきれたら、すでに作り置きしておいたキムチのタレに揉み込んで終了。大量に作れるので、役に立つ優れもの♡ 古くなって酸っぱくなったら、白菜キムチと一緒で、豚肉と一緒に炒めるとこれまたサイコー。このとき、ごま油で炒めるのを忘れないでね。

こんなに美味しいものでも、大学にいく朝は食べられない。これは、もう身についた強迫観念なんだろうな。にんにく臭いといわれることの、その先には必ず「暴力」があった。誰も何もいわなにのに、焼肉は金曜の夜しか食べてはいけない、と。土日あれば、匂いが消えて朝鮮人=にんにくのラインから外れるからと。ここはドイツなのに、まだ、体に染み込んでるわ。

ヴィーナー・シュニッツェルでカツ丼

アボガドサラダ カツ丼 フェンネルの胡麻油炒め。

ドイツの「国民料理」と言われているヴィーナー・シュニッツェル(牛肉をタタイて揚げたもの)がある。レストランで食べると、お皿に2枚~3枚盛られている。となりには山盛りポテト。

で、食べきれないものは、「To go」(持ち帰り)。アメリカと違って、持ち帰る人をまだ見たことが無いのだが、私は、さっさとナフキンで包むか、持参のビニール袋に入れちゃうの。

そして、翌日はカツ丼に進化する。だって、安価なターゲスメニュー(今日の定食)を頼むと、だいたい肉はブタ!やったー。なのである。で、フライパンに玉ねぎを入れて、だし汁と一緒にぐつぐつ。そこに、昨日の定食の残りのブタを入れて、溶き卵をかけたら完成!

やっぱ豚肉はカツ丼に限る。美味いのなんのって。疲れたときカツ丼を食べると元気が出るんだよね。で、ドイツ内のトルコ食材店には豚肉はない。ムスリムの教えでブタは禁止されているから。それから、トルコ料理店にはアルコールもないからね。

揚げ物が、、昔から怖くてできなかった。だから、天ぷらは一度も作ったことがない。外で食事をした次の日は「カツ丼」。て、なんか、チョー幸せ。お腹が減れば、幸せは一日何回も訪れてくる。小デブな私は、なんてかわいい。ドイツ生活3ヶ月で4キロ増えました。このまま年末まで突入すれば、10キロ増はかたいな。

ドイツ料理に挑戦

シュバイネハクセ

日本でドイツ料理というと、アイスバインだった。もちろん、作ったことはない。で、やっと、ドイツ料理に挑戦、と決めてブタの骨付き肉シュバイネハクセに挑んだ。

ステ野菜と一緒に、沸騰したら弱火で、ズーーーッと茹でて、塩とコショウで味付け。そして、オーブンで外側をカリッと焼く。マスタードもいいが、コチュジャンを酢で割ったタレで食べるのも美味しい。

ぬか床もやっと落ち着いてきて、気候と温度とドイツ野菜の個性がわかってきたので、野菜の引き上げ時間もなんとなく分かってきた。米ナスのようなデカイナスは3日間で浅漬。ニンジンは2日間で、抜群の旨さになる。香りがいい。野菜ごと大きさごとに違うので、これからも実験を続ける。でもね、ベランダに出しっぱなしで、やっとドイツのぬか漬けになった「うちの子」という感じなのです。笑

写真のスープみたいなのは納豆汁!野菜と、豆腐と、ベーコンと、きざんでグツグツ、コトコト長時間煮て食べます。生姜もニンニクも、山椒も入れてうわーーー、辛っ。でもうまっ。

あああ、料理って一日かかるよね。

でも、できたあとの美味しさは格別なのです。

今日の発見! 料理は気長にやればやるほど、旨くなる。あせっちゃいかんなぁ。(笑)

今度はムシを描いた

ホームページ用にムシ、みたいなものを描いた。想像のムシ。

色つけは、手元にある色鉛筆とかラインマーカー。楽しくなってついつい調子に乗ってしまった。昔、漫画に出てきたケムンパスのようなものまで描いた。このムシたちが、世にでるのはいつかは分からないが、そのうち、ホームページに登場すると思います。

で、大学でスキャンをお願いしたら、秘書の人たちがマジ、みんな目が点になっていた。うーん。どうしてかなぁ。

ミラノのスカラ座で

スカラ座で子どもオペラが開かれた。

たくさんの親子が訪れていた。こどもたちはオペラを食い入る様に見て拍手喝采。5階の桟敷席に同席となった父子は、舞台が始まると子どもがかぶりつき、父親がその子どもを守るように1時間ほど覆いかぶさって観ていた。公演中、父親は一度も椅子に座らなかった。子どもは手を降ったり、拍手をしたり、父親の顔を覗いたり、とても嬉しそうだった。

ヨーロッパに来て感じたことの中に、なんと文化を大切にするんだろうということがある。美術館も、博物館も、芝居も、コンサートも日常の生活の中にある。チケットも安い。そして親子で来ている姿をよくみかける。それが心にしみる。

ごま油ゲット

ごま油をよく使う。ドイツ版ごま油をゲット。あまりにも、日本のイメージと違うので、ちょっと面食らっているが、とにかくこれがあれば、料理は安心。

でも、さすがにBIO(自然食品)。日本円で千円くらいするんだよね。ううううううう。

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