チューリップが街中に

スーパーに行くと1.9ユーロ(約280円)で10本束になったチューリップが売っていました。さっそく部屋のあちこちに飾りました。

以前、尊敬する先輩が、好きな句として「咲ききって薔薇の形を超えけるも」を紹介してくれました。私は、花が咲ききる姿が好きです。思う存分、生きたんだなぁとホレボレします。

この2月に、研究所の近くに転居しました。引越しをしていたとき、重い荷物を持ってくれた上階の青年が、片付けが落ち着いた頃、チョコレートとチューリップの花を持って来てくれました。会話をしたかったのですが、私はドイツ語が話せず、青年は英語が出来ませんでした。ただ、わかったことは青年が「ロマ」だということです。

自分の胸を指差し「ロマ」「ロマ」といい、私が「シンティorロマ?」と再確認すると「ロマ」といいました。ナチスドイツによって人体実験をされ、民族抹殺のために虐殺された歴史を持ちます。ロマの扱いは、ユダヤ人以上に酷いものでした。それでも、生き残って、次の世代にバトンを渡せた人の子どもが、目の前にいる青年なんだと思うと言葉になりませんでした。

ハグをして別れましたが、私は青年の名前も知りません。

あれ以来すれ違うこともありませんでした。きっと引っ越しをしたのかもしれません。

金子マーチンさんが、ロマに関する本を沢山書いています。どの本も読みやすいです。

「ジプシー収容所」の記憶―ロマ民族とホロコースト (岩波書店)

 ロマ 「ジプシー」と呼ばないで 単行本 (影書房)

ベランダ

ドイツも花粉がたくさん飛んでいます。それでも、新緑の季節は、気持ちのいいものです。日が沈むのも長くなりました。ちょっと通りに出ると、みんな外でお茶をしたり、ビールを飲んだり、食事をしたり。私も、朝は、このベランダで食事をしてから出ていきます。

ドイツにあるモロッコのスーパーで「ハチノス」と出会う。

長らくご無沙汰いたしました。

 ※この投稿は、私のホームページとFacebookにリンクしています。

あんまり嬉しかったので、ハチノスのスープを作りました。子どもの頃、母が台所で、ダシをとったハチノスにお塩をつけて、口の中にいれてくれました。肉といえばハチノスです。肉が赤いと知ったのは、だいぶあとのことです。

移民の人たちのスーパーでは、よくおまけのしてくれます。それと、別れ際に「またね」と、店員さんの方から日本語で言ってくれたりして、ちょっとほっこりです。

ハチノスは、一度、湯通しして、ニンニク、ネギ(青い部分)、生姜を入れて、グツグツ煮込むだけです。最後に塩と胡椒で、自分の好みの塩加減にします。今回は、食べる10分くらい前に、トツク(お餅)をいれました。見た目を良くするためにシャンツァイを添えて出来上がり。ベランダで食べています。次は、ベランダの写真をアップしますね。

 

ケンニ(エゴマの葉)の醤油漬け

本日2つ目の投稿。

こどものとき、食べたかったケンニを作っています。

一世の祖母が作ってくれるお弁当には、いつも、シャケとタマゴが入っていました。当時の高級品です。民族学校は弁当持参です。同級生のお弁当にはケンニが入っていて羨ましかったです。

ある日、祖母の冷蔵庫にケンニが入っているのを発見し、「おばあちゃん、これ、お弁当にいれて」と言ったところ、祖母は「これは、貧乏人が食べるんだ」と。(笑)

祖母の家に預けられている私こそ貧乏人だから、入れてくれればいいのに、と思いましたが、願いは叶わず、その後も、祖母はケンニを食べ、私には、高いシャケとタマゴをいつも入れてくれました。孫には、立派な日本人らしい食べ物をと思ってくれたのでしょう。朝鮮人が食べるものは、劣っていると思わされた世代の祖母の思いが胸に刺さります。

祖母は、最後はキムチが食べたいと言って、日本の病院で死にました。

ドイツのベランダでの自家製エゴマは、ちょっと硬くてデカイかも。香りは、韓国のエゴマよりは弱い感じです。

で、エゴマを洗って水切りをする。

醤油、みりん、にんにく・しょうが・ネギ(いづれもみじん切り)、唐辛子、輪唐辛子、白ワイン(酒がないので)、ごま、コチュジャン(または豆板醤)、気分ではちみつなんかを混ぜて一枚ずつくぐらせて重ねる。

量は、いつものとおり適当。すみません。

数時間後にも食べられるし、数ヶ月後でもOK。保存食だね。

100枚くらいあっても、とっても小さくなります。

 

豊作です。

ベランダのエゴマとシソが、毎日収穫できます。

幸せです。

えごまは、醤油漬けにして、シソは塩漬けで大量保存。種まきからベランダでちょこちょやっていましたが、なんとかなるものですね。ゴーヤは、いま、花芽が付き始めました。タネを3つをまいて、全部元気に発芽して、これもまた幸せです。

「土」のあるところで生きたいと思うこの頃です。

 

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米国から友有り。これまた楽し。

ワールドカップサッカーはフランスの勝利だった。クロアチアに勝たせてあげたかった。。。

6月7月は、千客万来であった。

アメリカから、友人がたくさんの食材を抱え訪ねてきてくれた。そして、置いていってくれたのが、このボトル。

ヘイトに抗い

多様性を求め

正義を打ち立てる

と書かれた(そんな意味です)このボトル。米国のヘイト監視団体で売っているグッスの一つ。デザイン力の高さに脱帽。

 

ボトルはアンティファ

パセリが、いいんですよ。

日本だと、主に飾りに使っていたパセリですが、パセリが主役のサラダです。

友人の家で、野菜を細かく切って、そこに、パセリをざっくり混ぜて、オリーブオイル・塩・レモンの三点セットで出してくれた。美味しかった。

私は、マッシュルーム(一箱1ユーロくらい)を、ちょっと多めの油で炒めて白ワインで蒸して、塩・コショウ。それに、トマトとパセリをからめて、いりごまパラパラして、レモンと醤油で一品。香味野菜が好きな私には、パセリサラダって、なんか、あうんですよね。

関西方面で出没する弟分のカンミン(実は、エリートで賢いヤツなのだ)が、今度たこ焼きをつくってくれるっていうので、たこ焼きにあうサラダを開発していようと思っています。

5分でできる、マッシュルームとトマト・パセリサラダ。

独り者ですので、チョンガキムチ(^^)

ドイツのスーパーに、チョンガキムチの大根が、一袋4ユーロで売っていた。早速、塩づけにしてキムチに挑戦。

発酵させるためのアミ(小魚など)が無いので、玄米をお粥状にしてペーストを作り、そこに、赤唐辛子、にんにく、生姜、くだもの(甘ければなんでもいれる)、はちみつ、塩で下味をつくります。量はいつも適当です。すみません。

そこに、ネギ、ニラを入れて、塩漬けが終わった大根(葉っぱも)に揉み込んで終了。

ちなみに、チョンガーは独り者の意味。昔、朝鮮では独身男性は、頭にちょんまげのように髪の毛をまとめていたことから、その形に似たキムチということで、チョンガキムチ、というとか。実は、私、よくわかっていないのですが。まあ、そんなところで。美味ければよし。

塩漬けして、水洗い。塩の調整を。
甘めのチョンガキムチ。

作曲家 ユン・イサンさんと

私が、ドイツを思いっきり感じたいと思ったきっかけは、ユン・イサン氏の事件を知ったときでした。

彼は、1967年6月17日、当時の西ドイツのベルリンで、軍事独裁政権だった韓国のKCIAによって誘拐されソウルに連れ戻され、拷問の末、スパイ容疑で死刑を宣告受けました。

カラヤンを始めドイツの音楽関係者が抗議の意思を表明し、また、西ドイツ政府も国交断絶までかかげながら「客人になにをする」と、ユン・イサン氏の命を守るために軍事独裁政権下の韓国政府に徹底的に抗議をしました。主権侵害に対する国家としてのたたずまいが、そこにはあります。

約200人の芸術家が署名したその用紙は、正義の叫びでした。

1967年12月13日に無期懲役を宣告され、再審で減刑を受け、1969年2月25日大統領特赦で釈放され再びドイツへ。

ユン・イサン氏と会ったのは、東京でした。もう、30年くらい前です。支援者たちの伊豆の温泉旅行に同行しました。おおらかな人で、ああ、この人柄だから、苦しい中を生きのびられたのだなぁと。同時に、先輩世代は、生と死の狭間で、それでもなお声をあげ続けたのだなぁと思いました。1995年11月3日ベルリンの病院で旅立ちました。

下の写真は、最近見たものです。韓国でユン・イサン氏を追悼するコンサートに、ドイツの楽団が参加するという記事でした。

ドイツの地方紙のトップに故ユン・イサン氏の記事が。

当時、ユンさんとの同席をセッティングしてくださったのは、在日の料理家の先輩たちでした。食べて、笑って、怒って、泣いて、議論をして、そして未来を語り合いました。「パンモゴッソ?(ごはんたべた?)」は、朝鮮半島の日常的な挨拶です。たべることは、生きること。生き続けることが戦争屋に勝つことなんだと。

ドイツで暮らす日本の人が、持ってきてくれた朝鮮料理の本

やっと。。。

長い冬眠生活でした。

思いが言葉にならないときがあります。写真は、私が借りている部屋の窓辺の風景です。家具はほとんどありませんが、花と緑で賑やかです。ベランダにはエゴマやシソもあります。

 

窓辺